“Vernacular Web” Japanese Translation
This is a rough Japanese translation of Olia Lialina's essay ”Vernacular Web” (2015). I haven’t gotten her permission yet, but I went ahead and translated it anyway because it was introduced in HTML Day 2025 Tokyo and I thought it's worth to be known among the web community in Japan.
先住民と蛮族たち
わたしがWorld Wide Webで仕事をし始めたころは、いくつか、なかなかいいものを手がけた。それは特別で、他と違っていて、なにより新鮮な感じがした。90年代半ばのウェブにあったものとは、かなり趣が違っていた。
こんなふうに話を切り出すのは、自分の貢献をひけらかしたいからじゃない。むしろ強調したいのは、わたしは自分をアーリーアダプターだと思ってはいるが、それでもなお「文明の恩恵」を享受し、そこから利益を得られるくらいには遅く参入した、ということだ。そこにはすでに先行する環境があった。構造的な文化、視覚的な文化、そして音の文化があり、それをいじることも、壊すこともできた。そこには「他と違うものをつくる」というものも含めて、いろんな選択肢が存在していた。
で、その文化ってなんだったんだろう? 90年代のウェブとは何を指していて、それはいつ終焉を迎えたのだろう?
ぶっきらぼうに言ってしまえば、それはまぶしく、豊かで、個人的で、のんびりしていて、工事中のウェブだった。唐突なつながりと個人間リンクに満ちた場所。それぞれのページは「明日にはより早くなるはずの回線」と「より高性能になっているはずのコンピューター」に期待をかけて作られていた。言ってみれば、それは先住民たち、あるいは蛮族たちのウェブだった。いずれにせよ、それはアマチュアたちのものであり、やがてドットコムの野心、プロ向けオーサリングツール、そしてユーザビリティ専門家が作ったガイドラインによって押し流されていくことになるのだけど。
わたしがこの変化を「1998年に終わった」とかではなく「やがて」と書いたのは、そこに病も死も埋葬もなかったからだ。アマチュアのウェブは死んだわけじゃないし、消えてしまったわけでもない。ただ隠れてしまっただけだ。検索エンジンのランキングアルゴリズムが古いアマチュアのページを限りなく低く評価してしまうせいで、それらはほとんど見えなくなっている。文化機関も、ネットアートやウェブデザインほどには、そうしたページを収集したり紹介したりしてくれない。
それに最近のWWWは整備され、ガチガチに管理された空間になってしまったから、当時みたいな勢いで新しいアマチュアページが現れることもない。「〇〇のホームページにようこそ」なんて、ただ世界に向けて発信するためだけにウェブを始めるような時代ではもうない。ウェブは多様化し、状況は変わった。そんな古めかしい仕草をする意味も、もはやどこにもない。履歴書は会社のページか求人ポータルに投稿される。日記はブログで管理されるし、旅行写真はiPhotoにアップする。どんな趣味にも質問にも、専用のコミュニティがある。
だからわたしは、アマチュアによるウェブを過去のものとして語る。美学的には、きわめて強力な過去として。前世紀のネットを知らない人でも、検索結果の最初の10件しか見ないような人でさえ、初期ウェブの兆候や記号を見ることができる。皮肉にもユーザビリティ専門家たちが、あの時代の要素やスタイルを反面教師としてパロディ化し、収集してきたおかげだ。
ファッションの世界と同じように、ウェブデザインにも再流行がある。視覚的なレベルでは、さまざまなものが再登場する。去年わたしは、今どきのウェブデザイナーたちが、壁紙や飛び出し文字を再び取り入れた折衷的なスタイルへ回帰しているのに気付いた。そう遠くない未来には、<iframe>レイアウトや「工事中」標識画像もレトロな要素として再登場するだろう。意味も文脈も抜け落ちた、ただの賑やかしとして。
ここ数年、わたし自身もまた、この消えつつある過去の美学を前景化する作品を作ってきた。そうした作品によって、初期の自分の傲慢さをいくらかでも詫びたいし、ヴァナキュラー・ウェブ1の美しさを現代美術の作品の中に組み込むことで保存したいと思っている。だが、それは仕事の半分にすぎない。
MIDIファイルやGIFアニメを集めてアーカイブを作るのは、たしかに未来のためになる。でもそれと同じくらい重要なのは、問いを立てることだ。あの見た目、あの音、あのナビゲーションは、何を意味していたのか? それはどんな文化やメディアからの架け橋だったのか? どんな願いを背負っていたのか? なにを解決して、どんな問題を新たに生み出したのか? ここからは少し、いくつかのウェブ要素を取り上げながら、それらの厄介な運命について語りたい。
『ヴァナキュラー・ウェブ』試訳 目次
