リンク
『ヴァナキュラー・ウェブ』試訳の一部です。Olia Lialinaによる原文はこちら.
World Wide Webは常に変化してきた。見た目が2年前、5年前、あるいは10年前と違って見えるって話をするとき、それは思想的にも違っていたってこともセットで語らなきゃいけない。アーリーアダプターたちの実力、熱心なアマチュアたち、ドットコムバブルの幻想、そして第二波(=ブログ文化)による大衆の参入。それら全部が、ウェブの形作られ方と繋がり方を少しずつ変えていった。見た目の違いは、そうしたアーキテクチャの違いがにじみ出てきたに過ぎないってわけ。
いったんヴァナキュラー・ウェブの見た目は脇に置いて、ここで「それらがどう機能していたか」について考えてみたい。そもそもウェブはどのような原理のもとで育っていったのだろうか? もっとも明白な答えは「リンク」だ。とにかく大量のリンク。どのページもリンクだらけだった。
10年前には、ほとんどすべてのホームページに「外部リンク集」コーナーがあった。ウェブに参加する皆が、ホームページを通してウェブという環境を手入れし、そしてインフラを整備することを個人的な責務のように感じていたからだろう。「多対多」的な価値観は、リンクの貼り方にも現れていた。他のサイトにリンクを貼ることで、はじめてホームページは完成する気がしたものだった。
リンクは、関連する情報への、あるいはまったく無関係な世界への入口として機能していた。情報を探すのに時間はかかるけれど、その分見返りも大きかった。リンクを辿ることで、当初探し求めていたもの以上のものに出会ったりした。
ヴァナキュラー・ウェブは、リンクがもたらす力に取り憑かれて、少し行き過ぎることもあった。リンクだけで構成されたページ、分類もされていない注釈リンク集、ウェブリング1、Netscapeのブックマークをそのまま公開したHTMLファイル——そういったページがごろごろあった。
でも、90年代後半あたりから、リンクはそこまでイケてるものじゃなくなっていった。検索エンジン、ポータルサイト、ディレクトリ型検索エンジンが、リンク集の役割を肩代わりするようになった。検索は早くなったけれど、驚きは減った。秩序や階層を求めるあまり、ウェブはまるごと姿を変えてしまった。外部リンク集が一切ないサイトが当たり前になり、それが今のメインストリームなウェブの「看板」として機能している。ユーザーは検索エンジンのあいだを進んだり戻ったりするだけだ。
リンク——かつてウェブの移動手段として当然の存在だったものが、そのインフラ的な意味合いを失ってしまった。
今日のウェブでは、精緻な検索エンジンに代わって、ブログが「意外なリンク」の供給源となっている。これは進化の道筋として、面白い逆説性を孕んでいる。なぜなら、精度の低い検索エンジンの結果を補完するのが人力によるリンクだったからだ。いずれにせよ、リンクが果たす役割は変わらない。それは、ユーザーにとって「知らない場所」への入口を提供するっていうことだ。知らない話題、思わぬ発見やアクション、そして、ディープウェブへと。
『ヴァナキュラー・ウェブ』試訳 目次
