X未満 2026年3月

アニメーション作家はアニメーションのことが好きで、メディアアーティストはメディアアートのことが薄っすら嫌いな傾向、面白い


自分が敬愛するミュージシャンのために今最もすべきことは、Bandcamp FridayだのWebをどうこうではなく、MVを完成させること


https://www.youtube.com/watch?v=ohvN6A7Onos

https://x.com/uhaku3/status/2036432995209584916

むしろ構造主義過ぎないところ、多少の一貫性が綻んでもクセとエモが表出するところが、フロクロさんや擬態するメタの好きな所


音声入力によるagentic coding、カタカナ英語でいうと識別子やAPI名とまっすぐ紐づかない気がして、かといって発音がそこそこカスなので、モノリンガルな声優による帰国子女キャラみたいな感じで話しかけている どうやってるんですか


オープンソース運動もセゾンカルチャーもある種のブランド広告も、経済合理性に誘導されたというより、意図的に「余剰」を振り分けて、その価値をうまく社会構築していったもの、っていう歴史観を持っている


ふと目にした引用:

好きだった/憧れていた作家がLLMで出力したテキストを提示していると虚しくなる。

僕は貴方のの思考と、世界の見方と、それから生まれるテキストが好きだったし、だからこそ憧れたんだよと思う。

だからこそ、根本的な人間的思考と人間的言語を僕は大切にしていきたいと強く思う。

https://x.com/sogen_handa/status/2033585571315188029

これが誰を指しているのかはわからないけれど、自分がLLMとAI文字起こしをベースに書いた文章を公開したタイミングと偶然近かったので、少し嫌な気持ちになった。

ただ、言わんとしていること自体は分かる。敬愛する編集者の庄野祐輔さんがかなりLLM側にagencyを委ねたうえで、コンピュテーション文化の歴史についての文章を量産しているのを見て、実際に読んでみて思ったのは、単純に、ぼくがMASSAGE MAGAZINEに感じていた価値はここにはないのかもしれない、ということだった。DeepSearchで出せるようなテキストなら、むしろ自分に関するコンテクストを持った手元のLLMに訊いたほうが、はるかに「自分にとって」読みやすいものが手に入る。けど、そもそもが個人的なDeepSearchの溜め場なわけで、別にこれはメディアでもなんでもない。むしろNEORTにも関わり、実際にキュレーションにも携わる立場である庄野さんが、こうした調べごとをちゃんとダダ漏れさせてくれることは、むしろありがたいなって思う。

ここで大事なのは、文章を読んだうえで結果的にそう感じた、という事実だ。実際の文章を抜きにして、ただLLMを使ったから根本的な人間的思考に欠けたものになる、という因果をそこに短絡的に見出すのは、それこそ根本的な人間的思考に欠けると思う。


今年後半に映像作家として数カ月スパンで展示をすることになるのだけど(一応公知)、いろいろ悩んでる 映像、本、録音芸術にしろ、複製できることが好きなので、映像を展示にする意味についてまだ測りかねている それは恵比寿映像祭とかに行くたびに毎回思うけど


『花青緑-』と『エトワール』を二本立てで観てきた

あまりお話や編集について書けないのだけど、画もルックも本当に素晴らしかった シャバい美大生への妙な解像度の高さとプロジェクションマッピングの扱いも印象に残っている

『-エトワール』、殺陣作画監督が特にいい仕事をされていた あのシーンが3DCGだったのは、むしろ個を集団に同化していくことを手法で暗喩したのか、とか謎の深読みをしていた 花青緑の大平晋也カット(すぐ分かる)の真逆というか… 2クールをNHKで観たい

パートナーとめちゃくちゃ盛り上がった

映画の感想をもっと気軽に書けたらいいのにな


紙がブラウザに、ブラウザがレスポンシブデザインになり、この先組版技術がどうなろうと、「人が読みやすい本文幅は最大80ch前後である」という変数はあまり変わらなそう というかLLM以降、有意に「20ch前後で一段落一文」作文を目にすることが増えた気がする

けど、ショート動画や音楽同様、文章へのアテンションスパンも短くなることで、「読みやすい本文幅」がこの先短くなる可能性は十分あるのかもしれない。文庫本や新書ですら2段組にしないと目が滑って読んでもらえない、とか


https://www.filtokyo.com/

Zach Liebermanだとかのトークを聞きにいった真鍋大度さんのイベントスペース、ロゴがDavid Rudnickでアツい


1Password と遺言保管制度を用いたデジタル終活 | blog.jxck.io


自分のホームページをObsidianのvaultをsource of truth とするWiki的な構造にしてから、すべてのソーシャルメディアは、やがてホームページに転載するための下書きの場になった感覚がある


World Wide Webという存在や思想がちゃんと好きなWeb業界の方と、もっとWebそのものの話をしてみたい もっと居るはずなんだけど

Vernacular Web推しなのは、単なる懐古ではなくて。

ゲームでも、AAAタイトル的な写実性やリッチさを尊ぶ価値観のほかに、ガワはドット絵でも光るアイディアがあれば良いっていう土壌があったからこそ、UNDERTALEやBaba is Youみたいなインディーゲーム文化が花開いた(あってる?)

同じ用にWebデザインも、FWA/Awwwards/Chrome Experimentsのようなファンシーさに対して、もっと評価軸が多元化したらいいのになっていう思いがある


スペシャが、芸能系の公式Webサイトの受託制作やファンクラブ・サービスをやってらっしゃる会社(SUKIYAKI)と経営統合したのを恥ずかしながらごく最近知った


中野浩明(L/O)が問い直す、AI時代のデザインと「態度」 - Web Designing Web

デザインにできないこと、石川さんも「人に何かを伝えるという誠意がない本」と一蹴されていたけど、そんなに真面目に読む人文系理論書でも、デザイン論を市井のぼくらに伝える一般書でもなくて、ミームと散文のミルフィーユ、いわば「Tumblr」的なものとして向き合うべき本だと思っている

あと彼は、デザインをholisticに捉えるという姿勢そのものを批判はしていないのですよね。その素地たる「手技としてのデザイン」が軽んじられている状況と滑稽さを、デザイン理論家、そして教育者として、自嘲気味に皮肉り続けている感じ

だから、ロルッソのいう無力感と、佐々木さんの語る「グラフィックデザインのひ弱さ」や深澤さんの語りは、全く相反するものではないっていうのはあの本をちゃんと読めば分かるところなのかなって思う


アリムラさんもいってたけど、法、税制、資産形成にせよ、(民間の)資格ないし専門の士業が必要とされるほど制度を複雑化ことは、公平性のためとはいえ、一種の社会(必要)悪だということはもっと認識されてほしい


自分としては食い扶持が一つ減るものの、目を惹く広告が必要とされなくなり、製品や組織そのものの (ブランド) デザインが求められるの、喜ばしいことだなぁって思う 自分が関わったクリエイティブなクリエイティブ (名詞) がYouTube広告として流れていることに、常々申し訳なさを抱えているので

とあるYouTuberの方が「デザイナーさんが作ってくれた品の良いサムネイルを、大変申し訳ない気持ちで文字や顔を大きくするよう指示することが自分の仕事」と仰ってて

デザイナーの方には、発注者が掻き集めたい目先のアテンションよりも (OOPにせよバナーにせよ) 公共の味方であって欲しい

だし、いわゆる「感性消費のための広告」や「広告はアートだ」みたいな盛り上がりって、バニラトラックやきぬた歯科広告のような「広く告げる」ことに最適化する方向ではなく、品の良い表現を心掛ける=受け手や公共に誠実であることは、長い目で出稿主自身にとってメリットがあるという理論武装に寄与していたところはあったんじゃないか。それが本当にそうかはともかく

そこに対して、広告はアートじゃねぇ、と連呼系CMをふっかけた佐藤雅彦は、確かにパンクだったかもしれないが、同時に「耳に残るフレーズ」でもって、コモンズとしてのぼくらの認知資源を汚染した、とも言えるのかも


発注者の方には(可能なら契約書にも盛り込む形で)お伝えしているスタンスなのだけど、クリエイティブな YouTube 広告も、MVVP的な言葉をscroll-driven animation とともにファンシーに演出する仕事もしたうえで、忸怩たる思いで公共と広告、コーポレート・ライティングについて考えるのが面白すぎる


UIST 2025で、暦本純一先生、稲見昌彦先生、五十嵐 健夫先生の御三方がお話されているの、べらぼうに面白くて感動したんだった

コンピューター文化って、かつての馬鹿げた35歳定年説のように、若さと吸収力だけがモノをいうっていう風潮は根強いし、自分も若干内面化していたところはあるけれど、最近経験を重ねることの豊かさをまじまじと見せつけられることが多い。いつか自分もかくありたいなって思う

逆に、Webクリエイティブの世界でブイブイ言わしていた人は、本当に凡庸で退屈な中年になった方が多いなって思う。特に「クリエイティブな発想」みたいなのを持ち味にしていたディレクターの方。中村勇吾さんや田中良治さんみたいな「デザイナー」の方だったり、北千住デザインさんやqubibiさんのような在野の文化研究、アーティスティックな活動に携わられている人は、どんどん高みに昇っていく