X未満 2026年10月grass
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とても有難いまとめ…
デザインにしたって編集にしたって、その精神を切り取って拡大解釈するのは、あなたの職能をオシャンティーに飾り立てることには寄与するかもだけど、自分はそれぞれの仕事の実務としての専門性と、言葉の慣用的意味の連続性を尊重したいな、派
個人的な実感として、DTはデザイナー自信の高付加価値化の欲動から生まれたかって言われると、かろうじてデザインエンジニアリング界隈(ただし主たるバックグラウンドは工学寄り)が掠るくらいで、少なくともグラフィック・デザイナーが支持しているものではない
あるいはエグゼクティブクラスの人々に「デザインって大事なんだよ(だから自分らを参謀に加えてね)」という形で上流工程に食い込むための、営業としてのDTならちょい別(水野学さんがDTを支持しているのはそういう側面があると思ってる)
10-06 14:07
Bret Victorだって、あれだけのデモを作っておきながら、「世界中の人々を幸せにする」等とはのたまわずに、「クリエイターは作ってるものへの即時的な繋がりを感じるべきなんだ」っていう至極地に足ついたことをしか言ってない それでいいし、それがいい
10-06 14:02
昨日の言い換え
いち制作者として言論的に主張できることってそんなに多くも広くもないと思う 自分も「みんなそれぞれにextreme user」「企み人の影響力はもうちょい弱まれ」くらいしか言えてないけど、 風呂敷を広げて状況論や批評の批評をやるよりかは、制作も含め多少は面白いことが出来てると思う(といいな)
10-06 11:02
制作者として、実践者として、研究者としてのキャリアを賭してできる主張って、存外ちいさなことなのかも
Larry Teslerも「モードレス・ソフトウェア」という思想を生涯かけて実践して、Bret Victorも「クリエイターは作ってるものへの即時的な手触りを必要としている」を延々やっているわけで(Inventing on Principles)。加藤淳さんもそう。HCIは研究のための研究ばかりがやられていて、それは「トイ・プロブレム」なんて揶揄されているわけだけど、もっと在野の(彼の場合日本の商業アニメやボカロコミュニティーという)個別具体的なクリエイターコミュニティと長く深い関係性をもった実践研究ってのが必要なんじゃないかって言ってるわけで。けど研究にはある種のgeneralizabilityへの圧は存在し、そのことを査読でツッコまれたりもしている(Generalizabilityの幻想)
ぼくも、Adobeをさんざん批判したり、ノンプログラマーにとってのEnd-User Developmentの重要性を説いたりしてるわけだけど(それは大方vibe codingによって解決しつつある)、多分映像制作者ではなく言論人として言えることって、せいぜい「ベンダーの都合のいいようにでっちあげられたend userなんて幻想。人々はみんな何らかの意味でextreme user」くらいなんだろうなって思う。だし、それでいい
10-03 15:29
金木犀の香りだ〜
10-02 20:14
ひろしまで水江未来さんの『WONDER』を(違法アップロード以外で)はじめてちゃんと観たのだけど、最後に故・片山雅博さんに献辞が捧げられていたのが、どういう訳か心を打ったのよな 作品を捧げたくなるような師に恵まれることの素晴らしさを、最近自分なりに理解し始めたというか…
10-02 17:24
「人文的な領域に身を置きたがるデザイナー」(Silvio Lorusso)と、カルチャーめきたい人文系研究者の共犯関係はおおむねダルく感じていて、作り手にとってうんと身近で野暮ったい存在(=ツール)にこそ体重を載せて語り得るものがあると思う つまりはsoftware studiesが流行って欲しいなって話
10-02 17:00
自分がYOSHIROTTENの好きなところは、人文知的に大層なことをのたまってる感じを醸さずに、グラフィックとしてのかっこよさ(オシャンティーさ)を軽薄なままに純化してるところ