変化率と体感時間
「生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢に反比例する」という経験則があって、
それはジャネーの法則と呼ばれる。
それに基いて計算するに、19歳が人生の体感時間の折り返し地点なのだそうだ。
きんさん・ぎんさんが「100 年なんてあっという間」と言ってたり、父が友達と高校時代の思い出話に花を咲かせるのを小学生時代に見ていて、
人生の体感スピードがそうして速くなっていくことに対して底知れぬ怖さを感じていた。
自分は絶対そうなってたまるか、ちゃんと、キッチリ80年分の体感時間を生きてやる——とまでは言語化できずとも、幼ながらにそれに近い感情を漠然と持っていた。
ジャネーの法則に抗う上で、「慣れ」は大敵だと思う。「慣れ」が人生の体感速度を速めさせてしまう。変化の無い人生は慣れやすい。
一方で、どれだけ慣れを避けるためにダイナミックに生きようが、その変化率にもまた慣れてしまうのも事実だ。さらにその変化率をダイナミックに変化させても、変化率の変化率に慣れてしまう。
こうした「『慣れなさ』への慣れ」はいくらにでもネストしていくことができる。
だけど、生活の変化を最低でも二回微分して定数にならない生き方をしないと、「慣れ」によってどんどん体感速度が速くなって、
いつしか本当に 19 歳が人生の体感時間の折り返し地点になってしまうかもしれない。
だからこそ、『響け!ユーフォニアム』の久美子達の人生の濃度に、グッと来るんだと思う。
作品世界が始まって、9 話時点でたった3ヶ月。他の作品に比べてもスローペースだけど、
あの展開の遅さはあながち誇張でも無い気がする。
思い起こせば、ぼくだって、高校入学からの3ヶ月の間に、入部、宿泊研修、合唱コンクール、定期テスト、そして学校祭まで経験したのだ。
ユーフォの作品世界は、ナードにとって都合の良いハーレム空間が広がる訳でも、水着回や温泉回がある訳でもない1。
そこに描かれるのは(ある程度アニメ的に記号化されてるとはいえ)多面的で一言では割り切れいない、人間模様だ。
鈍感ヤレヤレ系でも熱血でもない久美子を始めとした、属性として括れない、彩度の低いキャラクターの群集劇だ。
ただ、その時間の流れるスピードに、彼女達の人生の変化量にリアリティを感じる。
体感時間の折り返し地点より前の頃の、あのとんでもない一ヶ月の長さを思い出させてくれる。
とともに、ジャネーの法則の予言する通りの人生に傾きつつある現状への失望を感じる。
一方で、その失望感すらも、人生に新しい情感という変化をもたらしてくれるような気がして、なぜか嬉しいのだ。
