面白かったWikipedia記事の一覧(2021年)
プロミネンス(地誌学)

「でっぱりはどこまでが『山』と呼べるのか」は長年の疑問だった。例えば、エベレストの山頂の近くにちょっとしたケルンを積み上げたとしたら、それもまた8000m級の山にはならないのだろうか、とか。そこで、山地の中に無数とある凸地形のどこまでを山として数えるかの指標として使われるのがプロミネンスらしい。例えば「未踏峰」の項には次のような記述がある。
1994年、国際登山連盟(UIAA)は、アルプス山脈の頂のうち、標高が4000メートル以上、プロミネンスが30メートル以上の82座を明確な「山」として分類した[2]。
この分類のおかげで、際限なくある山体のギザギザすべてに名前を付ける必要も無くなり、稜線を縦走してアップダウンを繰り返した回数だけ踏破した山をかさ増しするセコいこともできない。「内海か湾か」「島か大陸か」のようにその定義にあいまいさが残りがちな地誌分野の中で、めずらしく綺麗に内包的定義が可能な地形が山なのは意外だった。
関連する概念にアイソレーションがある。
Micromort
コロナ禍の一番の悩みは、決して高くはない死の可能性のためにどこまで日常生活の潤いを犠牲にできるかにある。それこそ2020年の緊急事態宣言の時点では、道北地方で一日感染者が出るかでないかという状況だったので、人口比で0.0002%の感染確率のために外出自粛は正直アホらしいと思っていた。だって実際コロナで死ぬ確率よりも、自家用車で死亡事故に遭う可能性の方が高いのかもしれないし。
この考え方の誤謬は、そういう風に過剰なくらいに対策を取った結果こそが「0.0002%」だという事実を見落としていることだ。感染者数は指数的オーダーの世界なので、確率にたかを括って全員が気を緩めていたら何十倍何千倍にも膨れ上がっていたかもしれない。とはいっても、なんちゃって合理主義者としてはこの「死の確率」を定量的に測る方法はないのだろうかと気になる。そんな中で知ったのがMicromortという単位だった。飛行機で北海道と東京を往復して墜落死する、ワイン500mlの飲酒で肝硬変になりやすくなるリスクは約1 Micromort。スカイダイビングは7。そして、1 Micromort のリスクを避けるために人が支払う価値の平均は5千円らしい。清水幹太さん一家も感染した2020年5月にニューヨーク市に住むリスクは一日あたり50 Micromorts。これを多いと見るか少ないと見るか。東京も毎日算出して渋谷のビジョンにデカデカと掲出してほしい。
忌み数
日本では4(死)、9(苦)があるけれど、その世界版。13や666は有名だけど、9413はピンポイント過ぎて笑う。広東語で発音が「九死一生」に似ているとのことだけど、日本語でもなんとなく通じる。感覚としては4989(四苦八苦)といったところだろうか。ちなみに中国では文字通り「10回中9回は死ぬ」という意味。
ちなみにバンクーバーでは欠番によって消防活動に支障をきたさないために、建物の階数表示から忌み数を省くことなく順番通り表示することを義務づける条例があるらしい。
ドライライン

旅行先で天気予報を見るのが好きだ。北海道や日本列島はそれ単体で完結しても良い綺麗な形をしているので、近畿地方やフランスだとかの、でっかい地塊の中途半端な一部に見知ったお天気マークや等圧線が重ねて表示されているのに妙な違和感がある。いや、「綺麗な形」だと思うのは僕が単に見慣れているからなのだろうか。日本なんてアイスランド人からすれば、中国大陸にこびりつくひょろ長い島に見えるのかもしれないし、僕の中で世界一アホっぽい形をしたスラウェシ島も、現地の人にはこれ以外にはあり得ないだろうという位に収まり良く見えているのかもしれない。
というのは置いといて、その天気図に見慣れない記号があるとさらに興奮する。小学生の頃百科事典に「地吹雪」や「砂塵嵐」のマークがあるのを知ってやたら嬉しかったっけ。いつ使うんよ、と。そしてアメリカ大陸や北アフリカの天気図にはドライラインなる前線があるらしい。乾燥空気と湿潤空気は暖気と寒気同様に混ざりづらく、その湿度の境目が前線となって現れるとのこと。湿潤気候の日本にいる限りはお目にふれることのない記号だろうなぁ。
大韓航空機撃墜事件
小学生の頃、父の契約していたスカパーの影響でメーデー民だったのだけど、その血が定期的に騒いで何時間も航空事故について調べていることがある。日航機123便のことを調べるだけで人生で2週間位は費やしていそう。
去年宗谷岬にドライブした時、この「大韓航空機爆破事件」の慰霊塔があったのがとても印象的だった。丸みをおびた独特の周氷河地形を成す宗谷丘陵を背にして石造りの抽象的な物体が鎮座している光景は、Spomenikのような不気味さと荘厳さがあって、妙に引っ掛かっていたので最近ふと調べ始めた。冷戦下ゆえの地政的、外交的ゴダゴダが悲しい。

ちなみに、ハイジャックという言葉は「High-jack」ではないらしい。日本でこの言葉が認知されたきっかけはよど号ハイジャック事件や大韓航空の別の方の事件だと思うけど、「jack」にそういう意味があると思い込んで「バスジャック」「電波ジャック」と派生語を生みだされていった。こういう言葉の語幹を勘違いした事例を集めたい。
公益社団法人日本装削蹄協会
(Wikipediaじゃないけど)
最近、削蹄師の動画をよく観ている。馬の爪切りのことなのだけど、野生馬と違い家畜や競走馬は歩く分の摩耗が少ないために、人為的に爪を削ってやらないと伸びすぎて病気になってしまう。実はあのパックマンのような形をした爪は案外柔軟性を持っていて、地面を踏みしめる度に口をパクパクするように伸び縮みすることで、四肢の血の巡りを良くするポンプ作用をも担っている。馬にとって蹄は第二の心臓とも言われる所以で、その不調は命にも関わることらしい。
だから削蹄は馬も乳牛も数ヶ月に一度は行う必要があるくらい欠かせないものだったりするのだけど、どういうワケか僕らが「酪農」を思い浮かべる時に全くイメージされない工程だったのが今思えば不思議だ。この動画は手際の良さといいかなりoddly satisfyingではある。爪の削りカスの臭いが好きなので嗅ぎに行ってみたい気もするけれど、実際家畜の臭いでそれどころではないのだろうな。馬もそこまで不快そうではないので、ネイルサロン感覚だったりするのかもしれない。かわいい。