X未満 2026年2月
https://www.youtube.com/watch?v=i7y4Ia4ZltU
これはなんなんだ
「AI時代、むしろ人の専門性や手技がこれまで以上に問われるんじゃ」的な言説には、いや時間の問題でしょうと思う。けど一方で、「旅行の代行」がナンセンスなように、自分はこの制作のなかで自分自身が経験することが好きなのであって、なんとか自分がやることの価値を仮構したいのはわかる。
個人的には、ある種の士業がその職能の価値を自己保存しようとするように、専門家が介在する必要性をロビイングやレントシーキングによって制度の中に埋め込むことが叶わない限り、使用価値を主張するよりも、交換価値をでっち上げる方が善手なんじゃないかって思う。たとえば、受託制作の中で納品物そのものの有用性を主張するよりも、それを手元に持つことで将来的に価値が釣り上がることを期待させたり。あるいは「自分にお願いする」ということそれ自体が発注者にとっての一種のブランド消費になり得るような立ち回りをみせるとか。
ただそれも夢が無いなとは思う。すべての制作者は、現代アートを目指すか、有名人になるしかないってことだし。その意味では、AIではなく人の専門家にお願いする意義を、木村さんみたいな形で業界に周知させるムーブは、結局今できる最善なんじゃないかとも思う。そもそもこのツイートがAI文章みたいな読み応えでもあるし、やがてはデザイン→コードもAI化されるのだから、「機械が理解しやすい構造」であることはむしろ良いことなんじゃないか、と思ったりもするけど。
https://www.youtube.com/watch?v=FtODrPOuwx0
余談。こういう広報をする予算があれば、霧ヶ峰をMatter対応させることに注ぐほうがはるかに商品価値を高められるし、それ自体がプロモーションになるとぼくは思う。既に最新の一部の機種にはWi-Fiモジュールは内蔵されているのだから、ソフトウェアだけ改修すればいいわけで。けど、内製のスマートホームアプリでロックインさせたいという政治もあるのだろうし、難しいんだろうなぁって。
だから結果的に「tofubeats にリミックスをお願いすること」それ自体が発注者の方々にとっていい体験ととなり、その副作用として才能あるミュージシャンの食い扶持が増えることは、(ぼくが霧ヶ峰のユーザーじゃない限りは)素直に喜ばしいと思う。実はぼくにとってもマルチネ20のVJ出演費が30倍に増えた、という見立ても可能だったりするし。
「雇用される」を「所属」「ジョイン」「参画」と言い換えることであやふやになることってあるんだろうか
ナードな実感を込めればいいと思ってるタイプの悪文家なので、最近文体についてすごく考える
個人的な感覚として、大文字・小文字・約物でデコられた固有名詞が本文中では Group inou (stylized as group_inou) ← こんな感じに表記してあると、ちゃんと英語圏のテキストだなぁって感覚がある ALL CAPS の圧の強さをぼくらは過小評価している
will.i.am でドメイン名として成立しているの面白い
ジャンルは外延的にしか定義できないので、その定義や制度を巡って(結構たのしい)議論をするのも一興だけど、 「界隈」くらいに雑で恣意性を引き受けた言葉をつかうのが好み メディアアートは分からないけど、SuperDeluxe 界隈ってよかったねって、年長の方とよく話す
マルチネ20のVJブースで準備している時、後ろから MUTEK より面白れぇ って野次が聞こえたのが妙に記憶に残ってる
両方に出演した身として忸怩たる思いだけど、オーディオ・ビジュアルとして多彩で確かに面白いと思ってしまった V-4とクソミームでビデオ・ジョッキーする人もいれば、Resolume/VDMX、実写、ジェネ勢も居て、そんなイベント中々ないもんって
エンボス加工の逆はデボス加工
自分なりのより雑なC4P数理モデルとして「作品ベクトル 、その人なりの重み付けベクトル があり、主観的なよさ = 」っていう感覚がある
うちは、好きにせよ嫌いにせよ x_i を何かかしら意味のある要素として捉えているんだけど、 となると、x_i のチネくり回しが全くよさに影響を与えない、完全なるナンセンスに落ちる
となるような を増やすことは、いい観客であるために大切だと思う。かくいう自分も、例えば「ファッション空間」に対する は大部分が 0 で埋まっていて、主観的にはだいぶ低次元な空間を幻視している自覚があるから、色んなものに触れて感化されたいな
Notionのデータを移行中
https://x.com/rfv_podcast/status/2018479949280362851
公開収録に伺ったのですが、久保田先生のお話には毎度ながら感激させられました 美大におけるコンピューター教育黎明期のお話
美術やデザインにおける工学的発想も長年の自分の興味だけど、得てして(テクノ)楽観主義、リバタリアン的な方向に流されがちなソフトウェア工学の世界に、どうアートの複雑さとははた面倒くささ、そして面白さを還流させるかも一方で気になっている
あるクリエイティブな職能を自動化し得るAIサービスに携わっていた方に話を聞いた時、クラウドソーシングで数万円オーダーで受注しているようなギグワーカーは置き換えられても、トップ層のクリエイターに影響はない って話していて、悲しくなった (その後びっくりするくらい炎上した)
知己のミュージシャンが、配信だけではなくCDやバイナルを出す理由を「取り下げられないのがいいから」みたいに語ってて、その感覚はすごく分かるなって思った
内心をうがるわけではないけれど、もし自分が1, 2周り上の世代でインタラクティブ表現に携わっていたとしたら、過去を振り返らない というよりも、振り返られたくない と思う気がする
後年の検証に耐えうるほどの強度がないから、同時代を生きた人たちの記憶の中だけに残るほうが打算的にかっこいい
映像、WWWにしたって、メディアの黎明期は実験性が花開く時期でもあるけれど、同時にどこか恥ずかしいものだと思う スキゾであることは粋かもだけど、ちゃんと「インターネット老人」(この表現を肯定するわけじゃない)として過去を語ってくれる先達はもっとかっこいいな
https://www.youtube.com/watch?v=V6Pfq09GjrQ
by exonemo