お散歩系MVとファウンド・フッテージ
羅絲佳さん監督のこのショートMV、ファウンド・フッテージと音楽の共鳴がすごく好き。Look Dev Meetup #50で上映して以来、繰り返し観てる。特に最初の50秒。
原口沙輔のリミックスがまずいい。いきものがかりの泣きのメロディに対して、どこかおどろおどろしいストリングスとピアノ。そこにフィールドレコーディングが加わり、日々の哀愁と、日常が日常じゃなくなってしまうような不穏さが同時に沸き起こる。
映像はどこか見覚えのある公園から始まる(なぜかボートがひっくり返っている)。遊園地、花火と続き、日本の風景かと思いきや、花火の光で浮き上がる影はどうやらヤシの木みたい。湘南か宮崎あたりかな?と想像する。突如、黒板を引っ掻くような音とともに砂塵嵐に見舞われる岩石砂漠が現れる。絶対日本じゃない。続く夕焼けの風景にも、東南アジアのような異国情緒があり、その後の燃え上がる炎は、お盆のお焚き上げのようにも見えるし、ボヤ騒ぎのようにも見える。

ダイレクトアニメーションを思わせる、すみれ色の光が気まぐれに横切る。画面をかっこよく彩るエフェクトとして描いたというよりは、ただ何となく筆を走らせたように見える。続けて、映像とそのネガのシルエットが対位的に提示される。
原口沙輔のコーラスが始まる瞬間、「時代はい『ま』」のストリングスの盛り上がりに稲妻を重ねているのも好き。最初にこれを観た時、聞こえていないはずの雷鳴が聞こえた。

それぞれのカットを事細かに語り出すとキリがないのだけど、このモンタージュを観て感じたのもまた、ある種のアンビバレンスだった。「お散歩MV」っぽさも感じる。けど、親密さを感じ取ってほしいのか、日常を異化して突き放したいのかが、どうにも不可解な感じ。そして、編集での音の拾い方が抜群に上手い。編集点をジャストに置くか、前ノリにするか、ヨタらせるかの選択にセンスがある。映像の後半では、ラバランプの泡とともに、いわゆるリリックビデオ的な演出が始まるんだけど、その歌詞の抜かし方が独特だ。日本語を音や形として感受してるんだと思う。押韻や、次の小節の一拍目に漏れ出したシンコペーションのみを抑えるのは安直で分かりやすいけど、このビデオではそうじゃなくて、ルール性を汲み取らせない取捨をしている。以下、文字として浮かんでいるものだけを鉤括弧でくくってみる。
「時代」は今
「変わって」い「く」
ぼくた「ち」には
「願」「い」がある
この涙「も」
その笑「顔」も
すべてを「つないで」ゆく
実は本当の「ファウンド・フッテージ」ではなく、羅絲佳さん自身が撮りためた映像をVHS風に加工したものらしい。なんてことないカットの並びにも、エキゾチック過ぎず土着的過ぎもせず、日本も中国もアジアも平熱に見つめるような、なんかそんな眼差しを感じる。
後半のvideo2videoの使い方は、前半ほどには好きではない。ちょっと制御しきれてないように思えた。ネガティブな点で締めるのも惜しいので書いておくと、ぼくは彼女の映像のユーモアと不可解さのないまぜ感が好きだ。これはgroup_inouにも近い感情かも。あと、編集のテンポのセンスがずば抜けてる人だということも、ミートアップではちゃんとお伝えしたかったな。
あの場では、Art & Techという言葉に引き寄せすぎちゃって、そういう側面に十分に触れられなかったのが心残りで。それは山中 千尋さんも同じ。Opinionatedなキュレーションって、観る側としては注視点がはっきりしていて分かりやすいんだけど、その一方で作家の多面性を選者にとって都合のいい文脈に回収してしまう側面もあるなって思った。
それはそれとして、(リ)ミックスの形態として、「カラオケ」は好きだ。11年前にFADERの企画でCuusheさんが作ったミックスも、確かカラオケがテーマだった。曲があんまり良いと、リミックスする本人も一緒にユニゾンしたくなるよね。分かる〜