わたしは1995年からウェブページを作っている。2000年には古いページをコレクションし始めた。2004年以降は、土着のウェブ文化(デジタル・コークロア)、ウェブや個人の成長、そしてHCIの発展における個人ホームページの意義についても執筆をしている。
ウェブはもっとダイナミックで、速く、「すごいもの」になるはずだった。なぜなら、これまでユーザーが自分で意識的にトリガーしていた多くの処理が、バックグラウンドで勝手に動くようになったからだ。送信ボタンを押す必要も、クリックする必要も、スクロールする必要さえなくなり、新しいページや検索結果、画像が、ひとりでに、シームレスに現れるようになった。「リッチ」とは「全自動魔法的」(automagic)という意味であり、まるでデスクトップソフトを使っているかのような体験が目指されていた。
でも、Web 2.0 は単に新しいスクリプトのテクニックの話には収まらなかった。それは、自動的にインターネットの一部になれるチャンスでもあったんだ。HTMLを覚える必要も、ドメインを取る必要も、なにもなかった。Web 2.0 は、自己表現やコミュニケーションのためにしつらえられたチャンネル、ホスティングや共有の仕組みを提供してくれた。もはや、自分のメッセージをどう伝えるか頭を悩ませる、情報アーキテクトやインターフェイスデザイナーである必要もない。つまり——もうウェブページを作る必要なんてなかったのだ。
当時のわたしには、「リッチ・ユーザー・エクスペリエンス」という言葉とは裏腹に、実際にはユーザー体験がどんどん貧しくなっていく現実は逆説的にも思えた。もうウェブ特有の行動とか、ウェブという存在そのもののを意識したりする必要がなくなっていたのだから。
それゆえか、今どきのデザイナーたちは「レスポンシブ・デザインは2010年に発明された」と信じて疑わない。というか「言葉の発明」と「考えの発見」を取り違えている。実際には、レスポンシブ・デザインというアイディアは少なくとも1994年にはすでに存在していた。
そうした欠落は、「A Book Apart」シリーズの中でも好感の持てる一冊『感情のためにデザインする』が、「人から人へ」のプロジェクトをつくる方法を指南しながらも、ウェブの世界には「人が人に語りかけてきた」何十年もの豊かな歴史が存在していたことに一言も触れていないことにも繋がる。
これは感情のためのデザインというより、ゲーミフィケーションのはしりのような例かもしれない。それでも、いまのデザイナーたちが何よりもつくりたがっている「人と人との直接的なやりとり」は、すでにそこにあった。しかも、とても力強いかたちで。