なぜオープンにするのか (メモ)
このページは個人的なメモ書きです。何かあればご連絡ください。
形式張った場で聞かれると、ついFree Cultureだのハッカー文化だのを絡めて小綺麗にまとめてしまうが、本音は違う
「善意」だとか「コミュニティのため」のような、そういう感じじゃない。ちょっと露悪的な動機がある気がする
シャバい動機
- First-mover advantage: 映像作家というドメインでは自分くらいしかそういうことをしていないから、そういう振る舞いをすること自体が自分の活動のシグニチャになる
- 正直、丁寧にメイキング記事を書くのは、(ほとんどの実験性の薄い制作において)その価値もないし、ましてや労力に見合わない
- メイキングの開示の仕方も含めて、それぞれのスタイルに合った方法論がありそうな気がする。もっちーのとか → 好きな人のメイキング
- 技術的にパクれるのに、却っていろんな意味でパクりづらい状況を作ることの痛快さ
- オープンであることが素敵だからじゃなくて、プロプライエタリに振る舞うことが生理的にキショいから
- 企業であれ、個人であれ
- ア〜ティストとしての振る舞いを脱神秘化したい
- 語らない、開示しないことで何か奥行きを感じさせているように思えて、特に開示するほどの深みも元から無かったということを露呈させたい(ただそれは作品のかっこよさとは関係ない)
- 「秘匿することで優位さを保つ」ムーブに対する、「あけすけに手の内を明かしても痛くない」という当てこすり
もう少し理知的にお包みした動機
- 「十分な余剰さ」のもとでは、オープンソース的な方法論は高品質の創造的作業を生み出す最も効率的な方法だから
- 『ノウアスフィアの開墾』
- ソフトウェアエンジニアリング文化における互恵的利他主義は、それが単に自分にとっても合理的だからであって、誰かを、世の中を想って奉仕するという性質では(多くの場合)ない
- Matzさんはもしかしたら反例になりそうな予感もする、宗教的に
よくある勘違いへの回答
- OSSへの動機づけを「いいね数に脳汁が出る」のような、今日的な意味でのアテンションエコノミー、Limbic capitalismにかこつける
- sanokazuya0306さん「結局エンジニアもGitHubのStar数に脳汁が出ている」(要出典)
- 僕の感覚ではあまりそういう人はいない気がする。草を生やすことにモチベーションを見出す人はいれど、草を青く染めるために「Twitter構文」「創作実話」のようなもののコード版に手を染める人は見たことない
- (知る限り)エンジニア、研究者にとっての評価経済は質的なもの。Citation数、h-index、Star数のようなものはあれど、最終的には「プロップス」こそが大事(という印象を受ける)
- オープンソースとシェアリングエコノミーを並置する
- 鈴木 哲生さんがやらかしてた
- baku89.iconの感覚では関係ない。後者の台頭は、単純に僕らがビンボーになったから
- 前者は人類の公共知としてのコモンズを作る、後者は資本を後ろ盾にした元締めによる、一括で買えないビンボーな僕らを相手取ったビジネスに過ぎない
- 「所有」へのオブセッションを解体するっていうこと自体には共感するのだが、(C2C的なものも含めて)その共有化プロセスにおける仲介者がのたまう限り、それは単に利益誘導にも感じられる
- 「ご自由にどうぞ」段ボールは良いなと思う