佐野 和哉 (メモ)
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さのかずや
デカいことをできてしまう人はいて、普通にあこがれるしうらやましいが、いまの自分がいきなりそうできるわけではないので、当たり前に自分のできることをやるしかないのである
https://x.com/sanokazuya0306/status/1913476387924820240
- デカいことをしている人 — にbaku89.iconを含んでもらえるかは置いといて、そういう人にとってのそれは、それそのもの以上のものではなくて、「デカいこと」のような抽象的でフワっとした存在ではない
- 耳タコだと思うけど、最終的に今何に興味を感じていて、何にチマチマと細かく取り組んでいるのか、っていうのがやっぱりあまり視えてこない だからここで語られていることも、擬似問題に悩まれているように思える
- ホワイトカラー的振る舞いと、文化芸術において常にあなたは何がしたいのかを具体的に問われ続けることの、根本的な行動原理の違いによるコンフリクト
- 廣田さん、庄野祐輔さん、あるいは影響を受けた編集者の方々は、狭義の手を動かす人でもないし(庄野さんは実務面でもグラフィック/エディトリアルデザイナーではあるけれど)、ある種そうした文化に編集やキュレーションという立場で関わられてきた方だと思うけど、baku89.iconが信頼と尊敬の念をもっているのは、どこまでいってもそれそのものの話をしてくれているから。映像、メディアアート、グラフィックデザインでもなんでも。デカさ、ブチかますこと、ローカルをエンパワーすること、世の中にインパクトを与えることへの欲動は、それ自体大切なモチベーションではあるが、そのドメインに携わることの十分条件たり得ない。最終的にそれそのものがただ好き、尊いんだ、っていう気持ちこそが、そのドメインの人達の信頼を得るためには必要な気もする
- sanokazuya0306.icon:これを書いたときにイメージしていた「デカいこと」は、国家プロジェクトとかに関わっているクリエイティブマネジメント集団の友人たちをみてピュアに「すごいな〜」と思って書いたことで、それを本気で自分がやりたいとかそうなりたいとかあんま深く考えずに書いたような気がしています(だから特に悩んでるようなことではなかった)
- だから「デカいことをしている人」=ちゃんといい制作をしている人、という意味ではないかも
最終的にそれそのものがただ好き、尊いんだ、っていう気持ちこそが、そのドメインの人達の信頼を得るためには必要な気もする
- なんか普通に「おれ楽しくてこれやってます」っていうことをやろうというのは最近すごく意識してます、いま仕込んでるのはわりとそういうことだし、やり続けるべきは、別に誰かにわかられなくてもやり続けられることだなというマインドです最近(上の話とは関係ないかも)
- そうですよね、その際、何がどう具体的に刺さって、佐野さんを突き動かしているのか、みたいなことが、めちゃくちゃ具体的に(かつ細かすぎて伝わらないレベルでも)伝わるのが良いのかなって思ってます。というか僕が読みたい…笑
- なんか普通に「おれ楽しくてこれやってます」っていうことをやろうというのは最近すごく意識してます、いま仕込んでるのはわりとそういうことだし、やり続けるべきは、別に誰かにわかられなくてもやり続けられることだなというマインドです最近(上の話とは関係ないかも)
わかりみの一覧baku89.icon
- https://scrapbox.io/sanokazuya0306/文化資本の格差
- https://scrapbox.io/lookdev、あるいは大学の講義やウェビナー資料を必ずwebに放出するのはそうした気持ちがある
- 美大こそ最大のペイウォール(Kota Iguchiさん)
- その答えが Coloso. にあるのかはさておき
- 学習のための経済コストを初学者に負担させない
- https://scrapbox.io/sanokazuya0306/「批評」に対する世論
- baku89.iconからのお気持ち 人へのお気持ちを書こう
- 単著を読んだことで印象が変わった
- 文化資本の水平伝播
- 近い種類のルサンチマンを持っているが、その発露の仕方が違う
- ただその結果放たれるある種の香ばしさに関して共通点を感じる
- 「力んでしまう」への不安
- 脱力したり平熱でいられないことを、カルチャー的によりイケてる人に腐されそう(実際はどうでも良いと思われてる)、なら先回りして嫌いになってやろう、という魂胆がbaku89.iconにはうっすらある
- 「力んでしまう」への不安
- 「映像作家」と肩書を狭めることの覚悟について
- 「本当に意識高い人はイシューが具体的」
- 何にでもなれる可能性をとどめ置く為に、自分の活動領域をボカすよりも、今この瞬間興味を持っていることに自分の印象が狭まっても良い
- 映像しか作ってないんだ〜と思われることに抵抗がない
- なぜなら作品を観てもらえばそうじゃないことはわかってもらえるから
- 肩書に願望やステートメントとしての機能を込めるか、現状の自分の活動領域を過不足なく説明するものにするか
- 後者で良いのは
- 一芸に秀でてない人の最後の砦としての「多岐にわたる活動」
- (baku89.iconのプロフィールも若干その気配がある)
- 自分が信頼している人は、「デザイナー」ではなく「グラフィックデザイナー」と明記しがち
- 鈴木 哲生さんとか
- ある年齢のうちに、何かを為すことへのオブセッション
- 出産、病気、介護、あるいは転職、当たり前のようにキャリアが中断することはあり得る
- その人にとって本当に重要な仕事や制作というのは片手で数えるほどしかない
- baku89.iconにとってのEYEとFlyのような作品を、一生に一つも作れない人が大半(ウエメセ)
- と思うと、あまり焦らなくても良いなと思えるようになった
- 真鍋大度さん「競争をした時点で負け」
- 「誰かよりも先に」の時点で辛くなる
- 自分が思いついてやらなかったら、誰も特には手をつけてなかったような辺境をちちくり倒すのは、時間に追われない
- Glispはそういうところがある。エンドユーザーにとってのプログラム可能性、オブジェクト指向性は、4年経っても誰も掘ってない
- 「で、結局何がしたいの」
- その背後にある抽象的なモチベーションに共感する気持ちと、で、結局何をしたいのか? が読み取れない感じは両立する
- 一次創作に関与することへの悶々とした気持ち
- 「作ること」が優遇されすぎているという意識は清水幹太さんと通ずる
- 圧倒的に「作る」よりも「仕切る」スキルを高めたほうが(経済的に)生きやすい社会であることは否定しようが無い
- 作る能力はスケールしない 仕切る能力はスケールする
- インテリが作ることを選ばなくなった
- 高畑勲、宮崎駿、押井守などの時代
- 昨今のインテリの作り手は「仕切り」ながら作る、「作る」ことに全ベットしない
- e.g., アクセンチュアに勤めながらSF小説を書く
- けどTed Changも山形浩生も本業はコンサルなんよね
野村総合研究所で開発コンサルタントとして勤務する傍ら評論活動を行っている。
- 知らんかった!!sanokazuya0306.icon
- baku89.iconは常々キュレーションすること、編集することに影響を受けてきたし、尊敬を感じている
- 影響を受けた編集者
- そうした担い手としてのさの氏
- 単著を読んだことで印象が変わった



