「キショさ」
このページは個人的な 覚え書き です。
人身攻撃や、コミュニティに対するアンチではなく、概念、ミームに対する苦手意識を括る、この際baku89#icon独特の用法をもったことば。
キショさという表現には、そうした生理的な反射でしか苦手さを表明できないことへの自己批判も含まれる。
苦手なことば
なぜならバズワード性、ブチ上げだけが漂い、それが何を意味しているのか具体的じゃないから
- 共犯関係
- 共創
- 破壊的イノベーション
- コンヴィヴィアリティ
- いい言葉なんだけど、この言葉を使う人は「コンヴィヴィアルな実例や実践」そのものにそこまで興味がなさそうなのが気になる
- Art & Tech
- 面白い/オモシロい
- デジタルツイン
- 代理店の使う「クラフト」
- 「クリエイティブ」の名詞的用法
- グロースハック
- Design Thinking
- Art Thinking
- 藤幡さんはアート思考を褒めてたけど、僕はやっぱりキショいと思う
社是系
- 日本の価値を上げる
- 「イノベーション」を冠してる社是は全部キショい
- 具体的に何がどうイノベーションを生みそうなの?
キショさに関連して
- 「キショい」という時点で、それが正当な異議として取り合ってもらうべきとは考えていなくて、なんかわかんないけど受け付けないんだ〜というお気持ち表明であることに開き直っている
- それをキショ以外の言葉で言語化したところで、正当化され得るものではない
- キショい は人や集団には向けない
- 概念、考え方などといった、ミームに向ける
- 宇野維正さんとのアレコレ
- ラジご #205「キモい・キショい」使い方ガイド
- ラジごの投票回を聞いて、キショさにもキショさなりの役割があるんでないかという気がしなくもない 正のRadical flank効果というか むしろ穏当な落とし所に社会の加重平均をシフトするために、捨て駒としてキショさを引き受けるという人が居たらとしたら、とか考える
- Radical flank effect - Wikipedia
- ラディカルな活動家のイメージが、穏健な活動家の印象に、いい方向にも悪い方向にも何らかの影響を与えること
- ある層にとってキショい用語としてのX(リベラル、free等)があったとして、Xそのもののイメージの改善を図るよりも、相対的に香ばしくない新しいタームYをでっち上げるのが早いと思うのだが、その上でどの程度「キショいX」を当て擦って差別化を図るべきなのか
- (X, Y)の例:
- (フェミニズム, ウーマンリブ) -これは第二次、第三次で逆転してたり
- (free, open) - Richard StallmanのFSMが香ばしくなってきたころに、Eric Raymondのが。
- (ecological, sustainable) - 経済活動も含めて持続可能とするための環境保護
- (X, Y)の例:
- 自分は少なからず先陣を切ってキショくあってくれた層にリスペクトを感じるのかも
- というか大分キショを踏み抜いてる
- 数年前、高校の同級生とご飯した際、コテコテにキショい話題運びになったことがあり、この人間関係丸ごと損切りして良いなと思った時に、リアルでもXでもvalkneeさんの言う「モンスター化」したことがある
- その発言を落合陽一氏にQTされ、その飲みに参加していた某研究室出身の人にブロックされた
- Paul Grahamが言うところの「意図的な穏健派」の存在が、言論の自由市場の調整機構というか、人力モンテカルロ法の精度を落とす方向に作用するのと同様に、「意図的な急進派」を演じるのも無為だなと流石に思うようにはなったけれど けどそれが位置取りではなく本心から出てくるモンスターである限り、それはとても大事な感情な気がする うんうん頷きながら聴いていた
Sainaさん
こういう問題って競争しているうちに止められなくなったみたいなところだと思ってるんですけど
Bakuさん的にはその辺りってどう感じてるのか気になりました!例えば賃貸を探す時に
1DK(ダイニングとキッチンがあるという意味)を探したいのに売りたい側はワンルーム(まともなキッチンがない)にも1DKタグを付けてしまっていて、誰かがそれをやると周りもそれをやらないと(お客さんに見つけてもらえなくて)大損してしまうので社会全体として嘘をつくことが前提になってしまうみたいな...
もちろんみんなやってるから良いとは思わないんですが、仕方ない部分もあるよなぁと思う気持ちもあります
baku89#icon景品掲示の話は制度と市場の問題で、法令遵守しながら程々にねって感想なのですが、コーポレート・ライティングは思想と言語感覚の欠如の問題だと思っとります 後者は別にしごでき性にも(一部のグリーンウォッシングもどきを除いて)善性とも関係ない、言葉への美意識の話でしかないのですが……。
あとは仰るとおり、囚人のジレンマにせよコモンズの失敗にせよ、合理的選択の上で構造的クソの創発に加勢する主体は、ただ合理的なだけで、しょうがなくはない、ちゃんとキショい(良くない)存在だと思います 自分も忸怩たる思いでふるさと納税ポータルサイトを使っています
合理性だけで選択した場合はちゃんとキショいとは思うのですが
制度がちゃんとしてくれないから、社員の生活の担保や競合に好き勝手させないために一時的にEvilになってでもその競争に乗らなきゃいけない瞬間は多々あるなぁとは思ってますね...(Evilになった後に戻ってくる信念を保てるかという問題はありますが...)
baku89#icon誰かの生活を守りたいという実直な想いも含めて「合理性」の意味でした 法や市場を見直すのが先で、ただやめぃと道徳に訴えるつもりはありませんが、それでも、不動産にせよ、メタクソ化するアプリのUXデザイナーにせよ、「邪悪」も「キショ」も両方引き受ける矜持は見せて欲しい!という思いです…
なるほど!ありがとうございます
両方というのは「正真正銘良いプロダクトとして経済などの社会と戦う」的な意味であってますか?
自分もこの先もずっとそうありたいとは思います(が、100%の自信はないですね...)
baku89#iconニュアンスは難しいのですが、市場における合理的な選択として理解し得ることと、それぞれが抱える「切実さ、ままならなさ」への共感と、でもやっぱりその選択は邪悪だしキショいなぁという自他への見下しは同時に併存する、っていう立場です!
邪悪さから距離を置いて「正真正銘良いプロダクトとして頑張りつづける」自信はぼくにも無いですが、万が一シャバい方向に行ったとしても、何のエクスキューズもなしに、忸怩たる思いでその邪悪さを受け止める心の余裕までは無くしたくないし、その自信は(あっぱらぱー気味なド左翼として)結構あります
→ 優良誤認