Baku Hashimoto

橋本 麦

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Diary

generative designと解像度

generative designと解像度 by 山本晃士ロバート

クリエイティブ・コーディングは既製ツールを使ってなにかを作るよりもずっと弄れる変数の多い行為なのに、どうしてこうも空気感もアティテュードも均質化しているのだろう、という長年の疑問への答えにも感じた。

個々のストロークを自分の手で明示的に置いていくのではなく、一段高い抽象度で描き方をアルゴリズミックに記述できる出来る心地よさや、想像を超えた画が出力される愉快さは大前提として。もっと素朴に、PostScriptやグラフィックライブラリの描画関数が作り出すマティエールに惹かれるという視点は意外にも無かった。自分が中高生の頃には既にスタイルとして一般化してしまっていたというのも、山本さんのような世代が受けたくらいの異化を追体験できなかった理由だとも思うし。

プログラミングと既製ツール、自動生成とフレーム・バイ・フレームとの間を反復横跳びしていると、ジェネレーティブかそうでないかの違いは限りなくファジーに見えてくる。基礎的な話にはなるけれど、そもそも何かを描くということは、アクションペインティングがそうであるように元来意図性と乱択性のハイブリッドで、さらにはルーペだとかカラス口だとかで解像度や運動能力を拡張しながら生身の体では描けないものを作り出してきたわけで、プログラミングもあくまでその延長に位置する一手法に過ぎないとも思う。(にしてはとんでもなく高い自由度と再現性を持った画期的なツールであること認めるけれど。)

少なくともクリエイティブ・コーディングという確立したシーンやアプローチの内側で何をどう捏ねくり回しても、ジョン・ホイットニーやクセナキスが同時代の中で発揮したようなラディカルさは持ちえなくて、だからこそ今更「ジェネっている」ことを作品の強度に求めるよりも、Adobeだとかをそのまま使うよりも少しだけ低レイヤーな部分から弄れることを武器に、あまり見たことの無い質感や佇まいをチマチマと発明すること位しかやることは残されてないのではと感じている。(そういう意味でも山本さんの『パラメトリック』はすごく好きです。)

「AfterEffectsの標準エフェクトで作ったグラフィックにOpenGLの定数名をハッシュタグとして付けて投稿するとジェネレーティブっぽく見える」とかいう卑屈なことをしていた位にシニカルに構えてしまっていたのだけど、この記事を読んで少しだけそういうものに惹かれる人たちのバックグラウンドに共感できたような気がして、嬉しくなったと同時に態度を反省した。

May 31, 2018

プルタブ回収運動や生徒総会、読書感想文を通してすくすくと育まれた、その場その場で前提とされてしまう「正しさ」の枠組みの内側で考える癖が、芯の食った思考を妨げるような感覚がこのところずっとある。

正しさの枠組みを疑うことは「元も子もなさ」と向き合うことでもあって、何よりナイスではない。芯を食うこと、ナイスじゃなさを奨励する雰囲気に10代の頃からカジュアルに触れられない限り、個人主義も見せかけに過ぎないと思う。

組織にまつわるニュースに触れるたび、義憤すらもエンターテイメントとして消費しているような複雑な気持ちになる。一方で、その歪みの根っこには中高生の頃に経験した(そして自分自身も加担していた)ある種の態度と同じものがあるような気がしてならない。

May 26, 2018

「表面」とか「ボリューム」のような物質的なもの以外をAR的に合成できないかが最近気になっている。ピクセルディストーションやモザイクをあたかもマテリアルの一種のように空間上に固定できたらどんなん見えるんだろうなと。まずはインタラクティブでない丁寧な実写合成で試そうと、5月に北海道で素材を撮りためたので、早く取り掛かりたい

(一人称視点で街歩きしながら、そこらへんの人々の顔やはしごを指でフリックしてぐんにゃり歪めるMV、何でしたっけ)

Apr 27, 2018

十代の頃、モーショングラフィックスで初めて自覚的に好きだと感じた映像がSTARDUSTのWinXPのCMだったと思う。当然LoganのiPodのCMも好きだったけれど、一方でonesizeのただ単にデジデジしていない独特なグリッチやアナログエフェクトの使い方も凄く研究していた。1stAveMachineのAaron Duffy感のあるトンチの効いた広告映像や時々作る意図の全く読めない謎CGも両方好みだったっけか。

GUMNKを始めとしたFUIや、ロボやメカニック、国内のFlash系MGシーンはあまり自分のバックグラウンドに無かった。だからCG齧ってる男の子なら当然そういうフェチはあるよね? という業界の無意識の前提が個人的にしんどくて。最近作ったモーションが、珍しくそういう種類のストレスもなく、この数年の興味や空気感の好みがカッチリ噛み合った感覚があって楽しかった。

「動かし方」の分類

なにかを動かす時、操作する物理量が何回微分されたものか — 具体的には位置/速度/加速度のどれをアニメーションさせるのかによって「動かし方」を分類できるのではないかとこの数年考えています。

ゲーム内での自機の移動を例にとると分かりやすくて。Pongでツマミが操作しているのは位置。スーパーマリオ64で3Dスティックが操作しているのは速度。アーケードレースゲームでアクセルとブレーキが操作しているのは加速度。

映像制作の中で「動き」について考えるときも、この分類はなかなか有効だと思う。手描きアニメや、キーフレームアニメーションは位置の推移をプロットしていくことで動かすし、ストップモーションやクレイアニメは、フレーム間の変化量(速度)だけ対象物をずらしたり変形させることで動きを与えていく。アニメだって頭の中で「速さ」とか「タメ/ツメ」をイメージしながら描くじゃないか、と一瞬思うけれども、結局紙の上に残していくのはあくまでもそのコマにおけるキャラクターの位置。

実写撮影だと、慣性が強く働くものを身体で動かす際には加速度を操作することが多い。ドリーを手押しする時は、台車に力(≡加速度)を与えることで加速/減速させる。ジブもそう。手持ちやステディでカメラを動かす時も、基本的には加速度を操作していることになるのだけど、重力との合力になるので少しわかりづらい…

そういう風に考えれば、3Dソフト上で実写らしいカメラワークをつけようにも、どこかぎこちなさが残るのは、アニメーションさせている物理量の次元が違うからだと説明がつく。

そもそも多くの映像ソフトが、速度や加速度に対してキーフレームを打つことを許さないのは(パーティクル系のような例外はあるけれど)、現在の状態をフレーム0から漸化的に計算しないといけなくなるからで、時間を前後させながら編集したり、並列処理させるには不都合だからだったりする。またユーザーにとっては、変化量をアニメーションさせては動きの終点を厳密に設定できないという問題もあって。そのために、AfterEffectsの速度カーブなんかは2つの固定されたキーフレーム間の速度の配分のみ編集できる仕組みになっている。

アニメーターやモーションデザイナーのような、「動き」について考える人達の多くが、パラメーターの変化量ではなく、実は絶対量の推移を描いて(打ち込んで)動きを設計していることになる。それは先に挙げたようなソフトウェア側の都合でもあるし、一度紙に描いた線を指でこすってずらせないように、そのメディアが持つ物性によるものだったりもするので、良し悪しの話とはまた別なのだけど。考えてみれば「動き」という概念自体、文字通り変化量のことなので、そこにちょっとした矛盾も感じる。

「ここでシュン!っとなる」の「シュン!」は速度のピークを表しているのだけども、それを実際に紙やアニメーションカーブ上に再現するときには、一旦頭の中で積分して位置に置き換えてやらなくてはいけない。現実でものを動かす時、摩擦で慣性が働きづらいものには速度を、滑ったり転がったりするものには加速度を力として与えることになるので、そのワンクッションは、人の身体感覚からすると不自然なことなのかもしれなくて。パラパラマンガで跳ねるゴムボールを描くことすらとても難しく、アニメーターには鍛錬が必要なのも、本質的にはその部分の違いに由来する反直感性にある気がする。

この1、2年、クレイアニメやフィードバック系を使ったグラフィック作りを試していたのは、(比喩としてではなく、物理量としての)違う次元から「動き」について考えてみたかったからなのかなぁ、と今になって思いました。

とか衒学趣味じみたことをダラダラ考えつつ、こういうUIがあれば面白いぞとoFでスケッチしてたのが、上の動画でした。

Oct 1, 2017

‪過去の制作の反省でもあるのだけど、キーフレームで動かしたものを1コマづつフィジカルに出力してコマ撮る、全般、そこまで心にグッとこない。レンダラーとして実写を使っているにすぎないというか.。

‪コマ撮りの良さは見た目のアナログというよりむしろ、隣接するコマ間の変化量だけで動きを考えることを強いられる不自由さ、それゆえのぎこちなさにある気がする。(送り描きのアニメ作画に近い)キーフレームベースで何度もプレイバックしながら組んだ動きは安直に気持ちよくなり過ぎる。

07/06/2018 追記

「リプレイスメント系コマ撮り」と呼ぶらしい。

Jul 19, 2017

汎用ツールの使い方に意識的に制約を導入することで一貫性をもたらすというより、楽器の形や可能な運指がその楽器で奏でることのできる旋律や和声に一定の法則性を与えるように、ツール自体の特性を変えることで手癖を変化させられたら良いなぁ という気持ち

Not Moving Sofa Problem

This piece visualizes “the moving sofa problem” as a kinetic sculpture. The “sofa” moves through the L-shaped corridor forward and backward repeatedly.

I mainly used Cinema4D and Python to calculate and design this piece. Cutting all parts with a laser cutter, sanding its surface for three days.

Aesthetic Coherence

Admittedly, the natural of computation has always inspired me and it’s much more than an enabler, but it can be neither subject nor motif of my work. Programming would unleash us the limitation of commoditized software just like Adobe. On the other hand, it imposes us another limitation of graphical expression at the same time and tends to distract us from aesthetic improvement.

It’s much less than just an idea to think about only which technology and devices to use and what concept to argue. It’s not important compared to its look, feels, and atmosphere, after all. In other words, the technology and concept behind it could be important for viewers only if the work has aesthetic coherence and beauty.
Art is not topology. Some of planners or media artists tend to focus on connecting context and context, tech and tech, buzzword and buzzword too much but this only means constructing its topological structure. I think art is continuum and the feeling of material of the nodes and branches themselves.

I’m so bored about the context of ‘art & tech’ but I think artists arguing such a statement should do R&D in term of both technological and aesthetic aspects simultaneously, so to speak. The art produced by who distinguishes tech development and artistic depiction feels like just a stylish demo of cutting-edge technology.


Capture from Please Say Something by David O’Reilly

Here’s one of texts I’ve deeply been impressed ever. It describes very important notion not only for CG animators but also for new media artists.

Nov 16, 2016

As making both of generative stuff and videos using keyframe-based animation, I become not able to distinguish what can be ‘generative’.
I’ve heard the news that the poem written by AI. But it was actually modified by human and the part of AI remained only 30%. I was so confused about the evidence why they can argue such a statement. The cut-up technique is much more generative, isn’t it? Even though it is irrelevant from digital technology.

I’m still wondering whether is it allowed for generative art to modify the output of a program by hand. How far can artists interfere the generative process intentionally to keep their work called as a generative art.

I’ve often deployed very laborious ways for my works. I’d composited more than 5000 street view images with stop-motion footages frame by frame. I also made clay-animation with my friends. But since I’ve used programming and Kinect to make in-house tools, shooting system or custom visual effects, some of reporters introduced me as the artist who’s trying to integrate technology and art and has made his artwork by programming. On each time I’ve wanted to say “No, it’s not automatically generated indeed but mostly made by my hand!”. My only concern is how to improve my works, even if it can be a cheat in usual generative manner.

From my standpoint, the only difference between things called ‘generative’ and others is whether it is created using programming or commoditized tools. Suppose there’s a video that bunch of beautiful particles is flowing. If it is made by After Effects using Particular, the popular plugin for particle simulation, I assume it won’t be called a generative art. But if was a screen capture of openFrameworks sketch, most people will regard it as generative one.

As I’ve described, I think generative art is mostly context-dependent. The term is not mentioning its art style. Anyway, my concern is the possibilities that to try to make it generative might distract artists from improving their arts. Sometimes it’s better to make mesh and textures using Cinema4D and Photoshop rather than to use built-in primitives of OpenGL. When it comes to post-effects, it can be much cooler to use a real film grain footage than shader noise. Although that is so niche topic, I’d like to write down my thought and tips for generative arts as like ‘The Book of Shader’.