橋本 麦∿Baku Hashimoto

辞めるというプロテスト

地元の病院で、ある部署の部長が妊娠した部下の産休代替を人事部に要求したら拒否された上に「次から男を採用したらいい」と言われた話をパートナーから伝え聞いて胸糞が悪い。何が辛いって、その部長自身が知人にその胸糞悪い話を愚痴った上で口止めしたことだったりする。ちなみにその話を僕が聞いた時、ご当地経済誌のメディアあさひかわにタレ込もうぜって言ってみたら、パートナーにも口止めされた。伝聞の伝聞だから当然か…。この話に登場する男性は僕とその人事部の人間だけなのだけど、かくして性差別は閉鎖環境において蔓延り続けるのだなと実感する。

誰に明確な悪意は無くとも、それぞれがそれぞれの立場でふんわりと日和見した結果、巨視的に悪を創発する構図っていうのは案外ありふれているのだと思う。多分それが身近なレベルで実感出来る悪の凡庸さってやつなのかもしれない。しかしそこにはヒトラーとアイヒマンという主従構造すら無くて、無数のアイヒマンだけが分散ネットワークを成し、不条理の種を少しずつ反響、増幅させていく。自分にパスされた不条理を、職場での居心地を犠牲にして今ここで潰すか、それともそれを101%にして次の人へとパスするかの二択の中で、まだその種が小さい頃は「この位なら別に…」と、成長しすぎた折には「自分の手に負えない」と言い訳しながらそれぞれが後者を選んでいく。

そうして複利的に大きくなった不条理の結果だけを見せられたぼくらは、象徴的な悪を想定して物事を単純化したがるわけだけど、実際の所そうした悪は創発的なものである以上、原因を特定の誰かに還元出来ないから事態はややこしい。山根会長くらい濃いキャラ芸人のせいにできる方がむしろレアケースというか。

こうした不条理に対して、すべての労働者が持っている確実なプロテストの手段が「辞める」ことだ。どれだけ上司が聞く耳を持たなくても、公務員でストライキ権を持たなくとも、辞めることで、少なくともその悪の創発システムには加担しなくて済む。皆が皆そういう方法が取れたら、個々のモラルに任せずとも、クソみたいな職場は労働市場のもと淘汰される。エンジニアやクリエイターのような専門性の高い業種は人材の流動性も高い分労働環境の淘汰と改善のスピードも高いとは良く言われる。じゃあ医療従事者なんてのは専門職の最たるものなのに、なんでこうも地元の病院ではこういう不条理が(今回の例に限らず)頻発するのだろうと不思議に思う。そしてこれは穿った見方かもしれないけれど、専門職だろうがなんだろうが、その職場の人達にとって「辞める」ことへのハードルが高いほど、裏返して言うと働き口としての「安泰さ」に対する志向が高いほど、そういうことが起こりやすいんじゃないかなと思ったりする。これはあくまで傾向であって、そうでない人もたくさん居るのは前提として。

あくまで原理的な話だけど、安泰な働き方を選ぶというのは、クソみたいな人間にとってもまた安泰で辞めさせられ辛い職場を選ぶということでもあって、働き口の保証と引き換えにクソみたいな人間関係に悩まされるストレスという保険料を払わされることを意味する。その保険料を高いと思うかどうかを冷静に判断した上で、安泰さを選ぶ、もしくは何らかの信念を持ってその仕事を続けるならそれは本人の意思である以上素敵なことだと思う。ただ、この地元に育って、この街の自称進学校で謎の進路指導に洗脳されかけた身として、そもそもそうした種のストレスを安泰さへのコストとして認識できているかすら怪しいような気もする。

終身雇用が当たり前だったぼくらの親世代や、人生を通して教育機関の外に出たことの無い(場合が多い)学校の先生方は、その労働観が当たり前になり過ぎて、そういう不条理さに甘んじるストレスと引き換えに安泰さを手に入れているという構図自体見えていなかったりする。そんな状況を内面化する為にこしらえられたのが「社会人生活たるもの不条理なことは多々ある」「今辞めたとてどこへ行っても同じ」という高二病的教訓だ。それをしつけや進路指導、上司からのパワハラを通して着実に受け継いだことで、今でもしんどい思いをして働いている同世代を見ると、とても辛いものがある。

それを言うと自分は色んな意味でクソ寄りの人間なような気がしていて、本来淘汰されるべき存在な中、周りの人達にさしあたり生温く見守って貰えている今の環境に感謝しかない。一方で、フリーランスとして流動性の高い働き方をしているからこそ感じるこうした考えを、それはそれで上手く心のバランスを取りながら働き続けられている人達に押し付けるのもまた一つの暴力なんじゃないかと思ったりもする。向こうからしたらこちら側こそが、何らかの自己暗示でもってこの不安定な時代に非正規雇用に甘んじる自分を正当化しているように映るかもしれないし。だからこそ、冒頭のような話を聞いた時に、どういう風に応えればいいのかとても悩む。

労働経済学に関しては素人なので、全然的はずれなことを言ってしまっているかもしれないけれど、こういう話を耳にする度に色々考え込んでしまう。最近さのかずやさんのテキストに共感してしまうのはこの辺の心境が関係している気がする。関係ないけど彼が個人的におすすめしてくれた本から漂う諦観やヤバい地元の構造物にゆるくインスパイアされてビデオを作っている。(本当は先月末に作り終わる予定だった。アートワークは納品した…)

何のイケハヤ的ステートメントも無しに私生活の(わりかしポジティブな)事情で地方に数年限定で移り住んだけれども、すっかり忘れかけていた地元の価値観や高校時代の生きづらさがフラッシュバックすることが最近多い。事務所が母校から2ブロック横ってのもあるかもしれない(笑)。ともかく、そういう風に地元と東京のコミュニティのあり方を二項対立的に考えてしまうあたり、あぁ、いかにも地方移住者っぽい悩み方してんなぁーダサいなーとか思うこの頃。