鈴木 哲生 (Scratchpad)
This page is a personal scratchpad.
- 影響されてWeb会議を書画カメラに
- 何度か上質な嘲りをお頂戴した
ポストデジタル・レタリング考 The Graphic Design Review
- オモロっ
- 文章上手、硬いのにスノッブじゃない、読みやすい
- writing, lettering, typography
- 「作字」は結局のところ何の和訳だったんだろうか
- lettering?
- 「作字」は結局のところ何の和訳だったんだろうか
- 労働とsatifyingの分離
- シェアリングエコノミーやクリエイティブ・コモンズへの興味のなさ
- 2つは全く違う気もする
- シェアリングエコノミーは、良いものを生み出す、最適なものを編み出すためというよりは、経済的な要請
- 所有は出来ない程度に消費者が貧乏になってきた
- サブスクモデルへの消費者の慣れ
- シェアリングエコノミーは、良いものを生み出す、最適なものを編み出すためというよりは、経済的な要請
- 2つは全く違う気もする
- 「自由市場」なるものの理解について
- 保守的な経済感、市場競争の視点で生きてきたという話について
ここにはもっとおもしろい可能性がある。ぼくの憶測だけれど、学問の世界とハッカー文化が同じ適応パターンを示すのは、それが出自の点で親戚だからではなく、物理法則と人間の本能の仕組みを千手としたときに、それぞれ自分たちがやろうとしていたことを実現するための、唯一最適な社会組織を発達させたんじゃないだろうか。歴史的にみて、自由市場資本主義こそが経済効率を求めて協力するための世界的に最適な方法だという審判はくだったようだ。ひょっとして同じように、評判ゲームに基づく贈与文化は、高品質の創造的作業を産み出し(そしてチェックする!)ために協力するにあたって、世界的に最適な方法なのかもしれない。
この点は、もし本当なら、ただの(失礼)学問的興味以上のものとなる。それは『伽藍とバザール』(邦訳、原文)での考察を、ちょっと別の角度からも論証しなおしたものとなる。つまり多くのプログラマがポスト稀少性時代の贈与文化の中で生きられるだけの富の余剰を資本主義が作り出せるようになった瞬間から、最終的にはソフト生産の産業資本主義様式は競争に負けるべく運命づけられているのだ、という考察だ。


