橋本 Hashimoto   Baku

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クリエーションとオペレーション (Scratchpad)

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山村 浩二

僕がCGの限界ということで考えているのは、CGはオペレートだけをするのであって、クリエートができないということなんだよね。

http://www.yamamura-animation.jp/animations_cc/talk/i004-animations01.html

3DCGで人形アニメーションのクオリティーの高いもの、っていうレベルの話だったら、逆に無理だなって僕は思うけどね。個人レベルですごいパソコンが普及しても。僕はCGはクリエーションじゃないって言ったけど、
CGでクリエーションに近い事をやるとしたら、プログラマーにならなきゃいけない。プログラムを自分で作り出すっていう事はCGの中でも一つのクリエーションだし、クリエイターと同じ価値があるものだと思う。
でもあくまでプログラムの中でやってる部分ではずっといつまでたってもオペレーターでしかないから、CGの中でも創造っていう所でもっと違うやり方をしない限り、どんなに高速なコンピュータが出ようとも、「リアルな表現が」といってしまう事でひとつの価値基準しか満たさない……

みんな行き詰まるんじゃないですかね。あくまでも、産業としてのアニメーション、エンターテインメントの方でしか可能性がないんじゃないかな。でも、やり方はあると思う。実験的なことをやるために、CGを道具として使う可能性があると思ってて。僕は面白いと思うCG作品は3本ぐらいしかなくて、そのうちの一つが、
大井文雄 さんが最近作った自主作品『dream storage』(2006)。偶然性に頼っているんだよね。数値の計算の部分で。偶然性が偶然性を呼ぶような状況をつくりだして、画面の動きや抽象的な模様が動くんだけど、それをみたとき、CGの人工的な画面が、「きれいだ」と思ったんですよ。CGなのに、人為的なものが入らないやり方で作っていたということがそのあとわかって。そういう可能性というのは、CGにもあると思う。でも、クリス・ランドレスがやっているような、あくまで観念上の道具でしかないCGというのは、どうにもできないと思う。ラーキンの作品を見たら、映像の空間がいかに自由な広がりを持っているかすごく感じると思うんだけど、『ライアン』の1億円もかけたCGの映像をみても、まったく狭苦しい世界しかできていなくて、地平線があって、その中の3D空間にたたずんでいるものでしかない。