オンライン展示 (Scratchpad)
This page is a personal scratchpad.
庄野祐輔さんのリサーチを元に再編
英語圏だとこんなまとめが: https://thebrokentimeline.valiz-makingpublic.net/
- 1991年 『電話網の中の見えないミュージアム』
- 会場: 電話回線内
- 電話やfax, パソコン(ダイヤルアップ接続)を用いてアクセスするバーチャル展覧会
- 企画: 浅田彰,伊藤俊治,彦坂裕
ファックスで指定された番号をプッシュすると、ウィリアム・バロウズのドローイングが送られてくる
- 1992年: 日本でもインターネットサービスプロバイダが創業
- IIJ, ニフティが
- 1995年 『on the web: インターネットの中のミュージアム』
- 1995年: IAMAS『Interaction '95』
- ビエンナーレ形式で、4回開催
- 1996年: 『IWE'96: インターネットワールドエクスポ』
- NTTなど民間主導
- 『sensorium』(センソリウム)
- ↑の、「日本ゾーン・テーマパビリオン」として公開を開始
- プロジェクトごとのコレクティブ。東泉さんも参加
- 97年以後もボランタリーに制作・発表を継続
- 1996年: 『Light on the Net』
- 藤幡 正樹
- ネット越しに電球マトリクスをオン・オフ
- r/place 的なプロジェクトの走り
- 1997年: ICC開館
- (プレイベント自体の方が面白かったという某人も)
- 最初の展示は磯崎新だった
- 1998年: 資生堂CyGnet (シグネット=Cyber Gallery Network)
- 2000年: THE END
- 2001年: インターネット博覧会
- Wikipediaの記事としては悪文だけど、さんざんないわれようだ
万博で成功を収めてきた堺屋の当初コンセプトは巨大な経済効果を強く謳ったものである割には、110億円もの税金が投入されながらそれに見合った効果がさっぱり得られなかったとの批判は大きかった。メインゲート(
http://www.inpaku.go.jp/
)は会期終了後わずか1カ月で削除され、自治体、企業参加のパビリオンもインパクの終了と同時に各企業のサイトから早々と削除された。個人の参加によるサイトなど今でも閲覧することのできるものは数少なく、後世に残るコンテンツ作りという面でも当初のコンセプトは全く達成されていない。またパビリオン出展のためには国の審査が必要であったためパビリオン出展は法人が多く、個人出展などが少なかった。本博覧会を行ってどれだけの効果を得たのかを定量的、客観的に示した資料はあまりにも乏しい。- インパクの“失敗”を総括する そして消え去ったインターネット博覧会 - ITmedia
- ドッグイヤーだからと、国が急いでやったのが良くなかった
- 2001年: Kingdom of Piracy
- 四方幸子さんも共同キュレーション