橋本 Hashimoto   Baku

橋本 Hashimoto   Baku

巻き込まれ力、サインペインティング、国際学会

スタートアップ界隈とかWeb業界の人と話していると、ときどき「取り組んでいるプロダクトそのものは、この人のキャリアという物語におけるマクガフィンなんだなぁ」と思わされることがある。マクガフィンとは、映画で「ストーリーを転がす小道具」みたいなもののことをいう。『パルプ・フィクション』のアタッシュケースの中身とか、ああいうの。マクガフィンの特徴は、それを置き換えたところで物語としての強度にさほど影響しないことだ。つまり、他愛もない雑談こそあの映画の中心であって、アタッシュケースの中身が金塊でも札束でも白い粉でもいいわけ。

先日、IT・Web業界で人事コンサルをされているトム・イシカワさんの記事を読んだ。トムさんはポートフォリオのキュレーションサイト goodportfol.io も運営されていて、ありがたいことにこのサイトも取り上げてくださったことがある1

「巻き込まれ力」という謎ワードでイベントに巻き込まれた結果、愛とAIとアイデンティティについて、なぜか広島で語っていました。|トム・イシカワ(石川 智規)|WEBSTAFF, Inc.

読んで思ったのは、記事からはイベントの盛り上がりや温かい人のつながりはすごく伝わってくるんだけど、それがウェブとどう噛み合っているのかがよくわからなかった、ということ。文中の「学校祭」というたとえがそのまんま正しいんだと思う。学校祭って、青春を楽しむのが目的であって、クラス展示が何でどれだけ完成度が高かったかなんて、誰も本気では気にしない。同じように、ウェブを巡る思想の系譜、グラフィック文化そのものは、トムさんにとっては本質的に代替可能なように思えた。これは彼がWebGL系ポッドキャストのnormalize.fmにご出演された回を聴いた時にも感じた違和感なのだけど。


こういうことを考えるたび、いつだって思い出すのがBret Victorだ。Web業界ではほとんど知られてないけど、Human-Computer Interaction(HCI)やUI研究の分野では伝説的な研究者だ。一時期はAppleでiPadの開発にも携わっていたことがある。数カ月前に彼の有名なプレゼンテーション「原則に立って発明をする(Inventing on Principle)』を観て、ぼくはいたく感動した。

Victorの何が立派かって、漠然と「ユーザーにとって便利なソフトをつくる」とかじゃなくて、「作り手には制作物との即時的な繋がりが必要不可欠だ(Creators need an immediate connection to what they create.)」という明確な原則に立って、色んなUIを提案してきたところだ。プレビューを速くするだけなら、ハードウェアの処理性能を改善したり、アルゴリズムの効率化とか、色んなアプローチがある。でも彼は、もう少し抽象度の高いレイヤー、つまりアプリケーション層でのインタラクションや可視化の工夫でもって、ゲームプログラムやアニメーションのような抽象的なデータに、より手応えを感じながら編集するための枠組みを持ち込んでいる。そこには耳触りがいいだけのふわりとしたお題目じゃなく、具体的な視座と実践がある。

そしてVictorは、自らプロダクトを世に出して社会実装する代わりに、研究者やデザイナーにインスピレーションを与えるためのプロトタイプをつくる、という役割に徹している。実際、プログラミング文化についての『Future of Coding』という有名ポッドキャストでも「多分デモで見せてない部分は一切動かないはず」と突っ込まれていた。けど逆にいえば彼は、パーソナル・コンピューターをめぐる巨大な産業のなかで一個人としてできる貢献を、とても精緻に、そして謙虚に理解しているんだと思う。


あれ、今回の結論、すでに書いてあるじゃん
「巻き込まれ力」という謎ワードでイベントに巻き込まれた結果、愛とAIとアイデンティティについて、なぜか広島で語っていました。|トム・イシカワ(石川 智規)|WEBSTAFF, Inc.

よくUXデザイナーとかデザインファームがのたまう「ソフトウェアを使いやすくしたい」「シンプルにしたい」とかいう志は間違っていないし、素敵だと思う。でも、それをどういう方法で実現するという着想や、自分はその中でどういう役割を担うのかという具体性がないと、ただのスローガンで終わってしまう。だからぼくは、こうした言語感覚にどうしても空疎さを感じてしまう。もっとも、企業のMission/Value/Purposeなんて大概そんなものだから、気にしなけりゃいいのにといえばそれまでなんだけど。


こういう「専門性は人生のマクガフィン」という態度の真逆で思い浮かぶのが、知り合いのミュージシャン・79さんだ。ザマギやポリスマン(ぼくはAC部のMV経由で知った)で有名だけど、もともとは確かグラフィックデザイン学科出身で、最近はサインペインターとしての活動でも知られている。というかFlyのMVではラップでの参加に加えて、題字も描いて頂いている。

彼はサンフランシスコの師匠に弟子入りして数年過ごした経験があるんだけど、そのときのことを語ったポッドキャスト『Different from Me』がある。全12回+2回でスパッと終わる前提でやっていて、これがすっごくよかった。

Different from Me

何が好きだったかって、現地の工房での修行それ自体の話をちゃんとしていることだ。こういう海外生活の発信者って、わりと「キラキラした生活」とか「ありがちな苦労話」に終始しがちで、具体的に何をしているのかは曖昧になりがちだ。もちろん現地法人の勤め人として、業務内容にそこまで突っ込んだ話がしづらいのも理解はできる。けど、それ以上に、「海外で働く」ことへの憧れに比べて、そこで作っているプロダクトそのものに本質的な興味は向けられていないように思えてならないことがしばしある。

79さんの語りは違う。サインペインティングや音楽という彼の出自に結びついた細かいエピソードばかりで、まさに彼にしかし得ない話になっている。それは万人にとって真似できるノウハウではないけど、ぼくみたいにまた別の世界でニッチなことをほじくり回している人間にとっては、たとえ領域が重なることは無くとも、その具体性と細かさに、敬愛と共在感覚のようなものを覚える。


かくいうぼくもこの春、既存の制作ツールの数値スライダーやカラーピッカーがしんどすぎて自作していたGUIライブラリについてのフルペーパーを書いた。美大を中退していたので、人生初の論文執筆でまずはLaTeXから覚えるところからのスタートだった。「なんでこれをAdobeの人が考えてくれないんだろう」という悔しさと祈りを込めつつ書いたのだけど、ありがたいことにUISTというUI系のトップ国際学会に採択された。界隈の方曰く、HCI界隈ではこうしたGUI研究はやや下火で、システム全体の提案とか「LLMをこのドメインに応用してみました」のような論文が多いらしい。そんななかで、クリエイター自身の当事者研究として古典的GUIを正面から扱ったのが、今の文脈では逆に新鮮だったんだとか。というか、共著の加藤淳さんがうまくそういう切り口を作ってくださったおかげなんですけどね。

論文の内容やちょうど今週に釜山で発表してきたときの経験は、近々書きたいなって思う。ちなみに自分が見た限り、フルペーパー勢でぼくのプレゼンの英語が一番へたくそでした。もっと練習しなきゃ。

Photo by 宮下芳明 Homei Miyashita (Professor, Meiji University)
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「専門性をマクガフィンとして消費する」生き方と、「専門性に細かく深く関わり続ける」生き方。その対比は、ふわりとアンテナを広げて生きていくための可塑的なスキームを構築する軽やかと、興味の対象そのものを具体的に掘り下げる重さを同時に照らし出す。来週ゲスト登壇する「問いフェス vol.2」にも、ちょっと前者寄りのふわふわ感を覚えていて、正直身が固くなる。でも当日は、あまり喧嘩腰にならないよう気をつけつつも、多分そういったことについて話すんだろうなと思う。