normalize.fm #50 付録
Web業界だと知らない方は居ないであろうdoxasさんによるPodcast『normalize.fm』にお呼び頂いた。出演、というより、感覚としてはDiscordでの作業通話ではあったけれど。映像と同じく、考えについてもプリレンダーしたい気持ちがあるので、普段こうしたリアルタイムで語らう場へのお誘いは基本的にお断りしてしまっている。ただ、業界の中で「編集者」的な立ち振舞いをされている方への感謝の気持ちもあり、特例的に承諾させて頂いた。広告映像における林ナガコさんや山本加奈さん、アニメーションの土居伸彰さんやDIESKEさん、The CollectiveのAsh Thorp、MASSAGE MAGAZINEの庄野祐輔さん、土屋泰洋さんのような方々への敬意にも近い何かをdoxasさんにも感じているので。
普段こうした内容を口に出すことがないので、案の定、暗喩表現の多い不親切な語りになってしまった。3時間半も聴いてくださった一桁台の方に向けて、補足事項などを書いておきます。
ピューリタン的な労働倫理
「働かざるもの食うべからず」を無意味に小難しく言っただけ。マックス・ウェーバーは真面目に読んでません。ごめんなさい。
パターナリスティックなUX
「ジャムの法則」「ドリルの穴理論」のようなおせっかい心を、デザインや創作のような探索的(explorative)な分野に適用することへの忌避感をルー語っぽく表現してしまった。「銃で足をぶち抜く」はここからの引用:
何をする場合でも、ユーザーにはただ一つの方法しか与えてはならず、その方法は誰の目にも明らかでなければならない。間違いの起こる余地を極力なくし、そのためには選択肢の制限もやむをえない。UNIX的な柔軟性や順応性の行き着く先は混乱でしか無い。 Atariのアプローチからは、一般人にピストルなどもたせたら自分の足を撃ち抜くかもしれないという考えが読み取れる。これと対象的に、UNIXシステムは、初心者にピストルどころか突撃銃を押し付け、20発の弾を込めた上で、重厚を足に向けさせてやる。
UNIX的なアプローチが大混乱を引き起こしかねないことは容易に想像がつく。UNIX環境は選択肢にあふれ、制約がほとんどない。何をする場合にも、10通り以上の方法があるだろう。このとりとめもない自由が、初心者の神経を絶えられるぎりぎりまで追い詰めてしまう。コマンドを選び間違えてデータを破壊し、どうしたらよいかと途方にくれる。しかし最後には、ほとんどのUNIXユーザーの混乱は、UNIXを理解することによって静まっていき、ユーザーは人為的な制約より柔軟性と順応性とを好むようになる。
Mike Gancarz『Unixという考え方』 p.137、芳尾桂 監訳
WebGL界の柳宗悦
エピソードが公開された週末に観た『美の壺』で、名前の読みが「そうえつ」ではなく「むねよし」だと知って顔から火が出た。どちらでもありっちゃありらしいけど。当時芸術と見なされてこなかった職人による日用雑貨や工芸品に美的価値を見出すという民藝運動の提唱者。
HSVは色空間としてクソ
HSV(HSB, HSL)は、いうなればRGB色空間を斜めに串刺しして円柱座標に変換したもの。ディスプレイにとって都合のいいRGB色空間と、人が感じ取る 色相 / 彩度 / 明度 といった認知的パラメーターが張る空間との中途半端な中間地点を取っている。実際、HSVの彩度100%、明度100%での色相スライダーを眺めてみると、緑の領域は広く、黄色やシアン、マゼンダの明るさは赤や緑より明るい。そして青は同じ明度とは思えないほどに暗く落ち込んでみえる。
こうした色空間に対して、認知的に均一な色空間(Perceptually Uniform Color Spaces, UCS)というのも提唱されている。Oklab(Okhsl)が有名。最近だとHCTなんてのも。Googleのデザイン言語であるMaterial Design(Material You)でも使われており、可読性の高いコントラストを維持しながらUIの各カラーを算出するのに認知的な均一さが一役かっている。
「カラーピッカー、90年代から変わって無くね?」論文
加藤淳さんに教わった。HCI研究者のNolwenn Maudetさんの博士論文『Designing Design Tools』
4次ベジェ曲線は曲率連続
適当なことを言った。3次ベジェ(通常のベクターツールで用いられる、始点と終点にハンドルが一つずつある曲線)はすでに曲率連続(C2 continuous)。4次ベジェは恐らく「曲率の変化率」が連続(C3 continuous)。2023年現在、個人的に世界一わかりやすいスプライン解説動画もついでに貼ります。
Straight-AheadとPose to Pose
このブログがわかりやすい。
Animation Obake: Straight Ahead and Pose to Pose(ストレートアヘッドとポーズトゥポーズ)
この辺の話は、ビデオサロン誌のウェビナーに登壇した際にも触れています。(33分付近)
VSW171「クライアントワークには役立たない 道具制作から始める愉しいモーションデザイン」(講師:橋本 麦)
CBCNET
思い入れのあるWebメディアの一つ。『君と僕とインターネット』には、hydekickさんと学生の頃に出たことがある。栗田さん萩原さんの知識の深さについていけず、苦い思い出。収録後に事務所のキッチンで、◯◯は観てない?flapper3の山本太陽君はこの辺ちゃんと追ってるみたいだよー、と教えてもらって、点で追ってた映像カルチャーを真面目に深掘りしようと思った。非公開になっててほっとした。(これもある意味デジタルタトゥーとして残しておくべきだったのかも)
時代的耐久性を見据えた文化的こねくり回し
- ワブルベース
- TR-808(やおや)のカウベル、tofubeatsが語る『PPAP』
- 萩原俊矢さん(Out of Dots、TANSBOOK 2017 2018 2019)
- qubibi(勅使河原一雅)さん
- 北千住デザインさん
- HAUS 林洋介さん(□□□ – CDの読み方)
- UNIBAさん
- Yehwan Songさん
Webサイトをハードウェアごと収蔵する美術館
適当にNew Museumと言ってしまったけれど、Rhizomeな気もしてくる。うろ覚えなので、どなたか教えてください…。
建築家か花火師
よく使ってしまうたとえ話。「残るから偉い」ではなく、刹那的なものであってもその瞬間の「わ〜」にも価値はありますよね、っていうのを中立的に表現したいときに便利。
花火か建築か、に関連しているかはわからないけれど、谷口暁彦さんのこの漫画をふと思い出した。
マンガでよむ たにぐち部長の美術部3D – メディア・アート編-
Web Designing誌のマーケティング雑誌化
Web Desining(ウェブデザイニング) 発売日・バックナンバー
(ポスト・)インターネット・アート
上京直後にICCで展示「インターネット アート これから – ポスト・インターネットのリアリティ」の洗礼を受け、以後夢中になっていた。一方で、制作ジャンルとしては意識的に距離を置いたような気も。一部のアート好きだけではなく、コマーシャルなWeb制作会社やインタラクティブ業界、クリエイティブ・エージェンシーの方々も、この辺の「インターネット感」をリテラシーとして共有していたと思う。そうした時代感のハブとしてexonemoやIDPW(アイパス)が機能していて、周辺の方々が楽しそうにわちゃわちゃしていたのが、下の世代ながら羨ましかった。そういえばW+K Tokyoもこんなドキュメンタリーを作っていたっけ。
付言すると、ハッカー的対抗文化の残り香を継ぐ「ネット・アート」と、インターネットが遍在して以後の「ポスト・ネット・アート」にはアティチュードに隔たりがある。この辺の感覚はGuthrie Lonergan『Hacking vrs. defaults』から何となく読み取れると思う(谷口暁彦さん訳)。
早起き
アサヒカメラ
写真家の小林健太
アート系のメディアではないからか、このインタビューが特に面白かった。昔からのファンです。
この線は、トラックパッドで指を動かした軌跡なんですが、指の動きの連続性を表現できないかなと思ったのが出発点です。ブラシの濃度を変えたらこの表現が生まれました。(中略)デジタルにも質感があると僕は考えていて。パソコンの処理速度は、どうしても自分の指のスピードより遅くなるので、モニタ上では実際の指の動きを追いかけた軌跡ができますよね。指の動きに対して、軌跡がゆっくりと変化していく。すると視覚的な重みや質感が感じられて、まるで重たい液体をかき混ぜているような感覚になるんです。
テレ朝POST » 写真は「真」を写すのか?デジタル世代の写真家・小林健太が挑む写真表現の可能性
塗り絵批判
僕はむしろヤコーさんのこういう態度に痛快さを感じている。小林健太さん然り、写真の真正性への幻想を別の角度から斬ってる感じが。
桜の名所で撮影された「奇跡の1枚」が話題! 「これは恋愛成就しそう」「天才…!」- Buzzfeed
「なんとか部」は恐らく東京カメラ部。
意義深い音楽活動
10年代、ネットレーベルが国内外で盛んだったころから、ヤコーさんはGo-QualiaさんとBunkai-kei Recordsを主宰されている。同人音楽的なノリをルーツとしながらも、権利関係をクリアした上でCreative Commons(BY-NC-SA)ライセンスを全作品に付与したり、CCライセンスを利用したリミックス・コンピレーション(その名もCCCD; Copy-Controlled CDをもじったCreative Commands Compilation Data)をリリースされるなど、フリーカルチャー運動の動向をかなり意識的に取り入れていた。精華大のこの記事でご本人が活動について振り返っている。
フリーカルチャー運動は実は特に思い入れのあるムーブメントで、それまで別々に追ってきた音楽や映像カルチャー、インターネット文化、そしてハッカー・カルチャーが一つに交錯するアツさがあった。メイキングやツール、話してるところの動画をできる限り二次利用可能な形で公開しているのも、この辺の思想の影響が多分にある。
提唱者のローレンス・レッシグ(アーキテクチャの考え方は制作やツール開発に生きている)も、著書の多くを翻訳された山形浩生(最近、一部界隈で物議を醸した翻訳本のあとがきを『某山形氏』呼びで批判したらエゴサに引っ掛かってソーシャル・ディスタンスされた)も、この辺の実践を日本に紹介されたドミニク・チェンさんもみんな好き。いや、話が逸れた。
この辺の動向も含むネットレーベル文化は永野ひかりさんの論文「フリーミュージック/フリーコンテンツ —インターネットレーベルと初音ミク現象に見るコンテンツ制作者の未来」が総括されている。必読。
山登り、局所最適と広域探索
適応度地形のアナロジーをよく持ち出しがち。生物学や機械学習の分野で用いられる概念。視覚的にわかりやすいGIFもつくった。この記事でパブリックドメインのもと公開している。(利用例)
鉄塔さんの写真展
愛聴しているPodcastのImage Castのスピーカーでもあり、エンジニアの友達の鉄塔さんが2022年に企画したグループ写真展。彼が自作した3Dプリント製レンズ TETTOR(テットール)をそれぞれが用いて撮影した。本音を言うと、写真を「作品」として発表するのではなく、カメラメーカーの製品展示会や写真展のトーンをほんのりと擦るシミュレーショニズムっぽい感じ(印象としては明和電機が近い)のほうが、僕の周辺に限っていえば届きやすかったのかな…?という反省がある。その辺のノリは自分の出展タイトルや、装丁・編集したTETTORのZINEに込めてみた。
トークイベントに関しても、出展者同士で展示を振り返るのも楽しいですが、たとえばucnvさんやgnckさんと鉄塔さんが一対一で話す形式だと、それはそれで芯の食った議論になったような気がする。SUB-ROSAのtakawoさんとucnvさんの対談のようなマジックが起こりそう。そういうシーン違い(メイカーズ・ムーヴメント/テキストサイト文化の鉄塔さんと、美術/美学畑)の人たちが事故的に交わる場を、両方が好きな身としてセッティングしてみたいなぁと常々思ってる。結果に責任は負えないけど。
落合陽一さんに拾われたのはコレとコレ。ツンツンしておきながら数年後には共作してそう、と周りの人に言われる。薄っすら自分もそんな予感がする。
少しでもマシな映像を作りたい
大好き
- 辻川幸一郎: Cornelius / Fit Song
- Michael Gondry: Chemical Brothers / Star Guitar
- Chris Cunningham and Aphex Twin / Rubber Johnny
頭の中でつい使ってしまう分かりづらい口癖
- アウラ、メディウム、コンセプチュアリズム、プロップス、マイクロドージング、ノブレス・オブリージュ: 相応しくない場面に限って、やけに仰々しかったり、軽々しい言葉を使ってみたくなってしまう
- アティチュード: 態度と言い換えても良いのだけど、音楽でいうアティチュードには独特のニュアンスがある気がする。あるトーンやノリを受け入れた上で比較可能な「センス」や「スキル」ではなく、もっと手前の話というか、そもそもどういった方向性の精度を「センスがある」「スキルフル」と見なすか、という価値観について言い当てた言葉だと思っている。
- 「公共の福祉に殉じる」: 制作者にとって、過去の稚拙な作品を忘れさってもらうのは重大な権利だが、文化の発展のためにはその権利は部分的に制限され、後続の人たちに晒され続けなくてはならない、という趣旨を大げさに表現している。
恥ずかしい読み間違い
- 人月: ✕ 「じんつき」 ◯「にんげつ」
- 悪手: ✕「あくて」◯「あくしゅ」(フリーレンのセリフで気付いた)
ここで触れていることって、知ってる方には今更感はある気がするのだけど、今一度ちゃんと整理して語り直すことは、色んな意味ですごく、こう、Web業界を「文化」として捉え直すのに意義がありそうな気もしている。僕はその意味であまり適任ではないので、このPodcastで開陳してしまった雑なFlasher史観を叩きに、みんなで正史(カノン)を編纂できたら楽しそう。
そういえば、「Web作品の残らなさ」に関連して、高三の頃に衝撃を受けた『SOUR – 映し鏡』が10年でもってドメイン失効しているのを、いつもの調子でXしたら、作者の一人の清水幹太さんに引用Xされ、色々あってソーシャル・ディスタンス頂かれた。これはだいぶ「オーバードーズ」に当たるかも。このしょうもなさもまた、相対的に丁寧な暮らしをしているという実感の糧にしてもらえたら、僕(ら)としては本望です。
あと、感想をX頂いた方、絵日記にしてくださった方、Podcastで言及してくださった方、ありがとうございます。