橋本 麦∿Baku Hashimoto

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同調圧力と聞くと田舎の村落共同体の陰湿な感じを思い浮かべるけれど、実際のところ僕らの世代でいう「KY」くらいのカジュアルさをもって若者にも浸透している。年齢差別も、「BBA」「オジサン」のようないかにも香ばしいタームや中高年の再就職問題が目の敵にされがちだったりする。だけども、リベラル寄りの多いこの業界でも、何某のアワードのダラッと並んでる各国の審査員クリエイターの中で日本人だけ書き出しが「Born in 19xx..」と揃っていたり、キャリア論の流れで n歳までに○○する流れは間違いなくて… などとか知り合いの方が穏やかに仰ってたり、そのレベルではふんわりと染み渡っている。

最近僕も、遠からず近からずな業界に転職しようとしている身近な人を、ポートフォリオサイトを作ったりその方面の知人に相談する機会を設けたりと、出来る範囲で応援している。一方で、これはもう一歩踏み込んで口利きなんかし始めると、まさに「コネ」とかいうヤツになるのだなとも思って。

僕らを日々ムカつかせる旧態依然とした価値観を思い浮かべる時、あからさまな排他性や悪意を孕んだドロドロを想定しがちなんだけど、それらは実際のところずっとアンビエントかつほんのりとした善意と軽やかさをまとって僕ら自身の行動規範にサラリと溶け込んでいるように思えてならない。ちょうど海面を揺らすさざ波のようなもので、ほんの時たま四方から波が集まることで、大波となり飛沫を上げては悪目立ちする。それに心を乱された僕らは、その尖点の高さだけに気を取られて、けしからんと叩いたり、アレにはなっちゃいかんねとか反面教師にするのだけど、結局その大波ってのは独りでに生まれたわけではなく、ほんの十数cmのさざ波の重なり合いが傍からはその高さとして観測されたに過ぎない。いろんな諸問題がこれだけ世の中をざわつかせてるわりに一向に解決されないのは、そうした「さざなみ性」を見落としているというか、「社会悪は一部の悪い奴らの悪い品性に還元することができる」という前提が間違っているからなんじゃないかと思っている。

別に、皆の連帯責任だよねとか、悪の凡庸さといった話で終わらせたいわけでもなくて。ましてや全員がさざ波に加担している以上、人のこと指差せないよなとか、逆に免責されると言いたいわけでもなく。悪の実体は、そもそも個々人に内在する性質ではなく、人と人との相互作用の中で創発的に生まれる一種のパターンなんじゃないかっていうのが最近の妄想。アイヒマンすら居ない善人からなる集団でも高次構造として悪が芽生えることはあり得るし、むしろその方が多い。んでそんなマクロな悪も、無理やりミクロの要素に分解しようとしたところで、賢明さ、お節介、義憤、軽い冗談 程度のものしか出てこなかったり。勿論そのなかに多少の悪意は無くもないのだけど、その総量は見かけの巨悪が醸し出す禍々しさに比べると微々たるものでしかない。

最近気になるのは、「利権」でも「女性蔑視」でも何でも良いんだけど「お主も悪よのう…」とか「ツイフェミはババァばかり」みたいなあからさまにヤバい奴ら以外の、その手の言説を自覚なしに下支えするサイレントマジョリティーが、その価値観を善良で常識的な精神性にどういう論理でもって自然に溶け込ませているかだったりする。その辺、僕は遠くない過去にモラハラもイジメも、ろくでなし子さんをディスってしまったこともあるし、今でもその時どういう風に「これは世間で叩かれるところの○○とは違う根拠のあるものなんだ」と正当化していたかをガッツリ覚えているので、自己分析だけするでも素材には事足かない。ただなんかこう、これから五輪パラというビッグイベントが控えている中で、そういう分かりづらい悪への想像力と自己相対化なしには、場外エクストリームスポーツとしての石投げを素直には楽しめないなぁと思った。