残すこと
yugopさんのX
記事タイトルがなんか本人的にはアレなんですけど。もっと過去にしがみついてもっと偉そうにしたいのに!
- 過去にしがみついて偉ぶれるかと言われると、べつにそうじゃない。表現分野として真新しかったがゆえに、今見ればいろいろな拙さがにじみ出るはずで。あるいは、yugopさんが開拓した表現ががあまりにフォローされ過ぎて、そのオリジネーターが霞むなんてこともある。正直な告白をすると、ecotonohaが当時どう凄かったか、実は僕もちゃんと理解してない。だから視聴環境としてはクローズして、飄々と今を生きながら、同じ時代を走り抜けた人たちの記憶の中だけに伝説として存在しているほうが、ずっと偉ぶりやすいんだと思う。そしてそのことに、十分に賢いyugopさんはきっと気づいているんじゃないか
- 素晴らしいモノだから、その価値があるから残すべきなんだ、とは実はぼくは一言も言ってない。一切の価値判断抜きに、ただ中立的に参照可能性、引用可能性をとどめるために、できる限り長く残されていてほしいってだけ。論文なんかもそう。
- そしてそれは文字通りの意味で、動作するようにメンテナンスすべきだっていう話でもなくて。キャプチャでもカタログの形でもいいし、それについて言及したり、個人史として編纂することでも良い。昔語りはスキゾなWeb人にはいたくダサいのだが、公共の福祉に準じてインターネット老人であることを引き受けていくひとのほうが、偉ぶれるか、カッコいいかはしらないけど、少なくとも徳は高い。
それ以前に書いたこと
- 「残すべき価値があるから残す」ということへの違和感
- ある種の弁証法、反証可能性みたいなものを残すために、価値判断を抜きに、できる限り長い間被引用できるように乗せ続ける、みたいな感覚
ニューメディアを用いた作品のアーカイブに関して思うのが、過去の(自分自身の若さやシーンの黎明期ゆえの)拙さのある作品を消し去って、同時代を生きた人の記憶の中だけで伝説になるほうが、偉ぶる上では遥かに合理的だったりもする