橋本 Hashimoto   Baku

橋本 Hashimoto   Baku

伊坂幸太郎がgroup_inouのHALFを執筆中聴いていた (メモ)

このページは個人的なメモ書きです。何かあればご連絡ください。

group_inou

阿部和重さんとの合作『キャプテンサンダーボルト』の執筆中、よく聴いていました。二人で一人、といった気持ちだから「HALF」という曲名がぴったりだったのと、サビの「全てはシステマティックになってく/答えろ/試されてること分かるだろ?」が、阿部さんや僕の書きたいものに重なるような気がしていたからかも。

そう、HALFは詩が良い

半分だけでも身体は丈夫
変化 対応していく中 回る
頭の回転 静かに
消える 喜怒 哀楽
静寂 どちらも 馬鹿
まだ ゆらぐ
走り出した車の中 気持ちは二つのあいだ
ところで風景変わったなあ

音楽の歌詞にあまり感動することはないんだけど、
音楽として歌詞を聞いて、その後に歌詞サイトでこのスペース開けや改行の歌詞を見つけて、
目で追いながら曲を聞いたときに、こう、なんか凄くドキドキしたのを覚えている。
福田ぺろさんに薦めてもらった渡邊 十絲子さんの本を読んだ今、
あのなんとも言えないかっこよさは何だったのかもう少し言葉にできそうな気がする。

ふと気づいたのが、文としての自然なまとまりと、
詩に起こしたときの見た目上のまとまり、
音楽として譜割りしたときのまとまり
とが全部ズレているんだ。

一拍目を太字、適当な解釈で句読点を打つとこういう感じ。

分だけでも体は丈夫。
|化・対応していく中、|る、
頭の回転。静かに、
|える。喜怒・哀楽・
静|、どちらも、馬鹿。
まだ、|らぐ
走り出した車の|、気持ちは二つのあいだ。
|ころで風景変わったなあ。

歌詞サイトによっては、L2「回る」の前で改行されていることもあるし、
単語の間が半角スペースになっていることもある。
フィジカルでは持っていないHALFの歌詞カードを仮に自分が組版をするとすれば、
おそらく上のようにしたはず。

思うに、歌詞カードを目で追いながら歌詞を聞く時に目線が織りなす動き、緩急は一種のダンスなのかもしれない。
日本語は、文字あたりのシラブル数が激しく変化する。(要出典) ひらがなで開かれているところで目が滑ったかと思いきや、唐突な熟語でつっかえたり。
和文組版は「濃淡」のデザインだという話を聞いたことがあるが、
2次元の紙面上におけるタイポグラフィではなく、線形な読み物としての和文に感じるテクスチャは、
濃いとか薄いというよりも、目線がその上を流れるときの摩擦の強弱。

歌詞を見ていても、「対応」「回転」のような漢文的で摩擦の強い文字の並びがあったかと思いきや、
「喜怒」のように、見た目の濃さと裏腹に1モーラずつ飛び超えていく文字もある。
あるいは、行単位で見ても「まだ、ゆらぐ」のように一瞬で過ぎ去っていく行もあれば、
「走り出した車の中 気持ちは二つのあいだ」と踏みしめるように進んでいく行もある。
「あいら・く」「せいじゃ・く」のように、韻とも言い切れない気持ちの良い言葉の連なりが
詩の上では改行によって、意味の上でも「喜怒哀楽 / 静寂」と暴力的に切断されている。

文字を追う目に意表をついてくるこの感じが、佐藤さんの飄々としたフンイキを思い起こさせて
なんだか妙にかっこいいんだと思う。

詩という話じゃないけど、「歌」と「歌詞」と「詩」をどういう風に味わうかが少し腹に落ちた。

渡邊さんの本にも、詩をただ読み上げたときの意味の連なりとして捉えると限界があるって話があったと思う。
曰く、文字の分かち書きの仕方や改行、かなの開き方、なんならフォントの選び方といった組版と不可分なもので、
特に現代詩は多かれ少なかれ視覚詩なんだっていう。