このページは個人的なメモ書きです。何かあればご連絡ください。
- 技術の言葉は世界の見方を道具的有用性に閉じ込めるのか?
- 同じテクノロジーの言葉にも、閉じ込めるものと、むしろそこからliberateさせてくれるものとがあると思っている
- それでいうと、自分はプログラミングと離散数学をリベラルアーツとして捉えているフシがある
- ハイデガーとかアーレントとかニューアカとか、そういう人文系の方々の会話に正直ぜんぜんついて行けないけど、「自分、人文系じゃないんで」とは言わない
- けどそもそも美術系の僕が、プログラミングや離散数学の話をすると、途端に「自分、理系じゃないんで」と距離を置かれがちなの、なんで?
- こうした分野、デジデジした、ロジカルでリジッドな世界だと思われている。プログラミングや離散数学の用語自体は確かにそうした側面はあるが、むしろそれらをそれなりのレベルで使いこなすことで獲得出来るメンタルモデルというのは、得てして視覚的であり、直感的で、パラレルなものだとも思っている。
- むしろ自分にとっては、自然言語の方がシリアルであるゆえの硬さがあると思っている
- 自然言語に拘るあまり、読みづらくなっているテキスト
- 自然言語に代わる、イメージの言語がプログラミングや離散数学だとすれば、自然言語を拡張する枠組みがハイパーテキスト
- 一本うどんとしてのテキストを、パラグラフと有向グラフからなるメッシュネットワークへと拡張する
- (某人)20世紀は言語的知性が重んじられた時代。21世紀はイメージの世紀。