X未満 2026年6月grass
このページは個人的な覚え書きです。
共創や共生(Licklider)とか色んな言い方があるけど、 計算機/AIはやっぱり圧倒的な他者であって、けどどうにかして互いを自分に適合させながら(adapt)、同時に半ば無意識に相手方に適応しちゃっている(adapt to)んだ、っていう ex)situ のこの文章が自分はしっくりくる
by 久保田晃弘先生
AI芸術に対する3つの態度に関連して、「テクノフォビア」に位置づけられないための賢明な立ち回りとして、(機械学習技術そのもの、所有、雇用、環境、倫理の問題だとかの)論点を混同したまま、親AI的に振る舞うっていう空気がしんどい時がある 技術的な直観にちょっと欠けるクリエイターほどその傾向があるというか
Boris Labbéや羅絲佳さんに憧れるのは、その態度はどちらかというと「人間中心主義」的なものでありつつも、AIの他者性をありのままに受け止めているところ だけど一方で過剰にエージェンシー(主体性)を認めない節度と、「AIがやりました」みたいにコンセプトとして前面化しない粋がある
マノヴィッチもマイケル・ベタンコートも、AE/Smokeみたいな縦編集と横編集が一体になったインターフェースにおいては、実写もアニメもベジェ曲線も「フッテージ」として分け隔てなくコラージュされるモーショングラフィックス的想像力こそが映像文化のより上位のカテゴリにあり、それを縛プとして特殊化させたものが「実写」や「映画」って制度なんよ、って捉え直しをしているのが好き
→ 上位カテゴリとしてのアニメーション/モーショングラフィックス
→ 共感覚
去年のアヌシーでピクニックしてたとき、眼の前でひらのりょうさんが目玉(視神経つき)をササッと編み始めたのが遠因で、半年後にかぎ針を始めたのを思い出した
「企み」を腐しすぎて、takram 嫌いそうって良く言われるけど、田川さんのグリップ型のchorded keyboard
と、なにかの展示で観た緒方さんの(憶え間違いでなければ) ARTSATの設計スケッチはすんごくかっこよかったと思ってる
「実現していない発想に価値はない」みたいな話じゃなしに、ぼくらはもはや「発想」とやらに疲れている
美味しいご飯、最高の音楽を「発想がすごい」ってあまり言わない。発想なんかには還元できない、ただ漠然とした総体としての調子のよさだけがある
よさを「発想がおもしろい」と呼べるタイプの成果物には、一定のトーンや世界観がある
つまり、それをコンセプトとして、企画書として、言葉にした時のインパクトの大きさに最適化したようなもの。タイトルやサムネイルにしたときにバズっちゃいそうなもの
「アイディアマン」とか「プランナー」、「放送作家」的なもの
「発想」として聞いた時の面白さを磨く技術は、それが作られる前の合意形成には役に立つが、それを成果物にするにはもう一弾ジャンプが必要
発想とトーン、技法、質感は不可分なものである
→ クリエイティブもそう
石川将也さんに対する非礼は枚挙にいとまがないのだけど、SFC佐藤研やユーフラテスの重力圏から解き放たれるには番組の題字をGUCCIMAZEに依頼すべき、という進言は振り返ると一番意味わからんかった