Post-medium / new mediagrass
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- クラウス、Lev Manovich、Peter Weibelともに、技術進化や社会状況の変化によるメディアの変容や、その概念の拡張に焦点を当てている
- グリーンバーグ: Medium specificity
- 例) タブローにおける「平面性」と「色彩」
- クラウス: Post-medium condition
- グリーンバーグは物理的特性にすべてを還元しすぎ
- conventionも含めてメディアなんじゃねぇの?
- 歴史的、文化的に形成された慣習
- 遠近法、フレーミング
- 「写真」は物理特性よりもconventionが重視される
- 光を用いてイメージをフィルムに定着させるという技術的側面は重要だが、それ以上に、それをどう展示し、どう解釈するかというconventionが写真というメディアを規定している
- e.g. ポートレート写真におけるポージング、ドキュメンタリー写真におけるリアリズムへの期待
- Video Art 101
- 歴史的、文化的に形成された慣習
- グリーンバーグ的な意味でのmedium specificityは解体され、芸術作品が特定のメディウムに依存しなくなった状況
- intermediality: メディウムの混交
- 物理的なメディウムからの開放
- 慣習や意味の重視
- conceptual artの台頭
- Lev Manovich: New media
- The Language of New Media
- “Post-medium Aesthetics (2001)
- 参考: ニューメディア時代のメディウム
- メディウムごとに特有の美学や構造があるのではなく、すべてをデータ、ないし情報の流れとして捉える
けど、ニューメディアは「その時たまたま新しいメディア」というより、「その内側に新しいメディアをエミュレート = 自己産出し続けられるくらいに、可変的で再帰的な性質をもったメディア」って意味だとふんわり認識していた。その定義を満たすメディウムは今のところノイマン型コンピューターだけってだけで。
ペアノ算術が定義できる程度の複雑さをもった数学的体系は、それ自身に対する自己言明を構築できる(そしてその完全性を自己証明できない)みたいな
なんかそういう、「複雑さのしきい値」ってのは、公理にせよメディアにせよ、あるいは生命にせよ、ある気がする
