Baku Hashimoto

コーポレート・ライティング

アカデミック・ライティングに対置されるべきは、パーソナル・ライティングではなく、コーポレート・ライティングだと思う 前者2つは、客観的か主観的かの差はあっても、使われている語が、その意味を成立させるための十分条件になっているので。

なぜ牛丼屋さんなのか? に対して「短時間調理、低コスト、大量提供を可能にする料理形態だから」と答えるのがアカデミック・ライティング、「夜中に食べたあの牛丼の味が忘れられないから」と答えるのがパーソナル・ライティング、「社会に新たな “価値” を届けたいから」とのたまうのがコーポレート・ライティング。

コーポレート・ポエトリーに対してここまで辛く当たるのは、単に意識の高い文体を冷笑しているんじゃなくて、言葉に対する不正義がなされているからだと思っている。みんな優しいので、小学校から続く「標語文化」の延長として、そういうもんだと見過ごしてあげているだけで

Corporate Poetry


自分のいうコーポレート・ポエム的な書き味が、趣味として嫌いだけじゃなくて実際に害悪だと思うのは、細かすぎて伝わらない実践、個別具体性、差異、複雑さをくみ取る労力を軽視したまま、のどごしのいい抽象語だけで合意した気分を演出できてしまうから 素朴にパケットの無駄だと思う

State-of-the-art、game-changing、innovative かどうかは社会や時代が検証することであって、プロダクトや組織のコンセプトとして押しだせるものではないと思う そうした物言いを発信者自身がすることに受け手が不誠実さを憶えずに看過し続けた結果、シャバいハイプにナードで実直な実践が埋もれる

この数年、数冊だけど(文化人類学、HCI、社会学系の)博論そのものと博論ベースの学術出版を比べながら読んでいた 厳格なアカデミック・ライティングにせよ、やや一般書寄りの執筆にせよ、(自分が触れた限りの)研究者って、「文体」への意識がとても精緻で誠実だなぁっていつも感動させられる

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