橋本 Hashimoto   Baku

橋本 Hashimoto   Baku

Conviviality (メモ)

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Conviviality

コンヴィヴィアルであることを、クライアントや他者に向けるばかりで、自分自身が置かれている環境に向けられていない
Ontological Designing

デザインコンサル関係がのたまうConvivialityへの違和感

  • デザイン関係者のいうconviviality、(緒方さんの著作など)全力で同意なのだけど、そのわりに成果物の佇まいはそこまでコンヴィヴィアってないという反感が多分どこかにある
  • あまりによく出来すぎていて、「じゃなさ」や多元性を想像しづらくさせる説得力があるというか
  • あとは、彼らが向かうもの ― 人々の暮らしぶりだったり、ブランドの価値だったり ― に向けてはコンヴィヴィアルかどうかとうかという審美が向けられていれど、それが彼ら自身の道具に向けられていないのが気になる
  • ハッカーカルチャーやWWW文脈でのconvivialityと、デザインファーム界隈がバズワード的に用いるそれ、またニュアンスは違う
  • convivialな目線がクライアントや社会ではなく、自分自身を包み込む環境や道具に向けられていたら、FigmaもNotionも少なからずキモいと思えるはず(僕も使ってるけど)
  • CCBTの面接でGlispは要するにコンヴィヴィアルな道具を作りたいということですよね?と聞かれた時、反射的に否定してしまった
  • 結論から行ってしまうと、イリイチが言う意味でのconvivialかどうかはさておき、彼の言葉をバズワード的に引く有る種の界隈に対する反感なのかな
    • だけどこう、悔しいかな、結構良いこと言ってるんだよな…
      • これとか
      • 「つくる」もしくは「つくりかえる」ことができるものでもある。わたしたちは、テクノロジーだけでなく社会のシステムやルールを含めイリイチが道具と呼んだ様々なものに囲まれているが、いったいどれだけの道具をつくることができているだろうか。また、いまある道具をつくりかえるという発想を持てているだろうか。デザインやエンジニアリングの仕事をしていると、つい「ユーザー(使う人)」という言葉を当たり前のように使ってしまう。もちろん何かをつくる時に使う人の立場に立つことは必要不可欠だが、それもまた行き過ぎれば、つくる人と使う人を暗黙のうちに分断し、使う人自身がつくったり、つくりかえたりできる可能性を排除し、テクノロジーをブラックボックス化してしまうことにもつながる。未来のテクノロジーは、「使える」道具であるだけでなく、「つくれる」道具や「つくりかえられる」道具でもあるべきだろう。

『コンヴィヴィアル・テクノロジー』

  • 単純に、そういう思想を経てもなお、デザイン・ファーム界隈が生み出すデザインなりブランドの佇まいは、(JAXAのようなクライアントを除いて)コンヴィヴィアルとは逆方向の、私企業による寡占を強化する方向に生かされているというのが「苦手」の原因?
  • 彼らの掲げる思想はある種の多元性に基づいているが、彼らの生み出す成果物は、デザインのあり方をある種の「正しさ」へと収斂させるような、つくり手を腹落ちさせるような説得力を持ってしまっている
    • SpaceXっぽいコックピット感に替わるオルタナティブを示せたんじゃないの?
    • まだ白くてウェルメイドでシュッとしてるん?的な
    • 信用ベータScroptographer、あるいはovalprocessは、コンヴィヴィアルがゆえの多元的なデザイン観を、作品や作例としての「じゃなさ」によって表現できていたと思う
  • 何よりも、多元的であること、自律分散的であることを希求する心は社会やクライアントには向かっていても、彼ら自身が身を浸す制作環境には十分に向けられていないのが気になる
    • これってデザイナー全体に言える意識の傾向なのかも。リベラリズムが政治や社会に対しては向けられていても、デザイナーにとって本当にアクチュアルな問題、つまり「ツールの話」には向けられていない
    • タイプファウンドリー方面の人達は、そこが言行一致(げんごういっち)している気がする
      • 「文字」は人類史的に権力性を孕んでいるから。彼女らの実制作の中で自然とポストコロニアリズム的実践がなされるような
        • 大曲さんの少数民族Notoとか
  • 個々のOSSプロジェクト自体はconvivialではない
    • 独裁者モデルにせよ、コンソーシアム方式にせよ、OSSは得てして少数の意思決定者の強いお気持ちによって方向づけられる
    • OSS的なプロセスで作られた道具それ自体はconvivialであることを意味しない。「つくりかえられる」かどうかは、ユーザーしいてはシーンにおける「つくる」ということへの認識に懸かっている
      • つまり、「つくりかえられる」道具があるのではなく、彼らの日常的実践としての「つくる」が「つくりかえる」行為へと地続きになっているという認識の成立が、convivialな道具の実現においてより重要
  • DTP革命は第一の分水嶺。だけどIllustratorというプロプライエタリ・ソフトウェアのためのプロジェクトファイルが入稿方式のデファクトスタンダートとなり、Illustratorの機能の中で出来るベクターグラフィック表現をグラフィックデザイナーが深く内面化しはじめた時、それは第二の分水嶺となり、デザイナーを道具に隷属させる
    • 発想面でも経済面でも
      • Adobe税