連続講義『アート&テクノロジーへの問い』#5 コンセプションとメディウム(孕むこと) (Scratchpad)
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宿題: 寺山修司作品はアートとしてどう評価足り得るか
- 「インタラクティブ」って名ばかりのインタラクティブじゃん っていう話って結構あるあるよね
- 佐々木敦の寺山修司評: 結局観客が参与しているといっても、想定の範囲内なわけじゃん、それってただのメタな劇を上映しているに過ぎないよね
- re-active, inter-activeの問題 畢竟、ギミックとしてのインタラクティブ性はなくとも、作品は(十分に訓練された鑑賞者の心象世界の中において)インタラクティブ足りうる 的な話
- 実験映像
- 『審判』(1979)
- 『ローラ』
- 美術美学っぽい語彙を使えばなんかそれっぽい、みたいなの あんま分かんない
- コンテンツとメディアの関係性
- 「たんぽぽ問題」
- あの作品のこと?
- self-recursive
- 「たんぽぽ問題」
- G.E. レッシング『ラオコーン』
- グリーンバーグ “medium specificity”
- クラウス “post-medium condition”(70年代)
- pregmant moment 『含蓄のある瞬間』
- pregmant 妊娠した? なんで?
- conception - 受胎
コンセプションとミディアム
- 製品、商品、作品の違い
- 商品はマーケットに出るもの
- 製品は工業的に作られたもの
- 商品になることが目的ではないもの、作り手自身の中にあるある種の問題解決
- アイディアは環境依存?
- コンセプト、ポエジー、オートポイエーシス
- Google Mapsの美術館, もう少し目線低めて
Sol Lewitt - Conceptual Art
- 『paragraphs on conceptual art』
- 『sentences on conceptual art』
All intervening steps—scribbles, sketches, drawings, failed work, models, studies, thought, conversations—are of interest. Those that show the thought process of the artist are sometimes more interesting than the final product.
- 今まで通りのものを手技でもって「巧く」作るだけの奴らがムカつく
- 結構いろんなエクスキューズがあって面白い
I do not advocate a conceptual form of art for all artists.
- 思いつくままに書いたから
- 自分に関しては、機能すんだよね、この考え方が。
q; フォームそのもの
絵の話ではなく額縁の話
- 様式を踏襲しながらより巧くやる vrs. 様式そのものを変えていこう
「巧さ」
メディアアート的なものは、確かに「絵」ではなく「額縁」の話をしている、フォームをより良くすることではなく、フォームそのものの話をしている。だけど、フォームそのものについての語り口というフォームがどこか似通っているんじゃないか。藤幡さんも含めて。e.g. メディアアーティスト、Times New Romanかウルトラライトな小塚ゴシック/明朝をキャプションに使いがち。游明朝体36ポかな。
ソル・ルウィットもウォルター・デ・マリアは確かにある種の技巧性を放棄したが、あの時代背景において、そういうアティチュードを見せたこと、ああいう展示の仕方をしたことがもつ異化作用には、より抽象的な意味での「巧さ」があるんじゃないか。けど今のメディアアーティストは、フォームを相対化しているものの、フォームについて言及するフォームはむしろ、彼ら彼女らの仮想敵とする層以上に、均質化しているように思えてならない。
岡崎真理子さん最高


- コンセプトは重要であって重要ではない
- コンセプトをしっかりと勉強する: 河原温、杉本博司
- エスニズム: 武満徹
- アンチコンセプト
- 工芸的な「技巧性」の歴史に接続するという形ではなし得ないんじゃねぇか?