問いフェス Vol 2 (Scratchpad)
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【問いフェス vol.2】問いを投げて概念のストライクを狙え!🎳残暑の問いボウル2025🪩 | Peatix
ありがたいことに最近はいろんなコミュニティに混ぜて頂けることが増えてきた。
これまでの映像業界から、HCI、インデペンデント・アニメーション、メディアアート、グラフィックデザイン界隈、と。ただ実はこのイベントに関しては、すごく正直にいえば、baku89.iconがちょっと苦手とする「実務家から上流工程に上がりたい」という気風が過去のレポからも感じられて、ちょっとアウェーかもしれない……って思っていた。けど、瀬尾さんがグレッグ・イーガン好きと太田 禎一さんから伺っていたのと、直接メールをくださった大島水音さんに以前仔魚のイラストを描いて頂いたご恩もあり、お請けすることにした。(断られると思っていた、とお伝えされた)
発表も、決して露悪的にはしたくなかったんだけど、想定される客層の方々にくすぐりをいれるような内容にしてみた。今自分が一番切実に問いたいことを、その槍玉の先の人たちに直接投げかける(つける)ことができたという点では、図らずしてイベントの趣旨に沿った発表だったのかもしれない
ちょっと思ったこと:
- 声を張り上げなくてもいい静けさにラウンジを留めるには
- これってどうしてもコントロールが難しいですよね… だれも「ガハハ」と笑って声量の軍拡競争に陥らず、おだやかに話せることをアフォードするような仕組みってつくれたりしないかな
- 面白いテーマかも → 落ち着いて話せる交流イベントをどうつくるか
- 声が張り上げることで、言葉の中身も強くなっちゃう感覚がある。あとになって言い過ぎちゃったなって後悔しちゃうというか
- 職能や興味とはあまり関係のない、「盛り上がる」ことが前提とされる交流、ちょっとつらかった… (ボウリング対抗試合は抜け出しました)
けど何より、イベントがつつがなく進行するというのは当たり前に見えていてすごく大変なことで、(baku89.iconみたいな扱いづらい登壇者がいることも含め)気苦労が絶えなかっただろうし、無事盛況だったのはすごいこと
newQの本もそうだけど、シーンないし文化の編集行為に関わられている方々全員に尊敬と敬愛の気持ちを持っている。コンサル組織としてのプロモーションとしての側面はあるとはいえ、そこには尊さがある
気持ちはこれ
スライド
本当はもうすこしグラフィカルなスライドがたくさんあった。Working In Progressがたくさんあったのでこのページからは省いたけど。高橋メゾッドみたいな文字中心のスライドなのは、会場の映像がSD出力だったから
























- 本当は「企み人」で終えてもよかったけど、ちょっと悪意を感じられたので、哲学っぽい言葉を雰囲気で造語して終わらせました
お会いした
- 大島 水音さん
- 鮭の仔魚に親しみ
- Design is for Every Body(フェミニズム×デザイン)
- 途中で文化人類学者の水上さんとお話したのと、御本人のお名前が「水」だったのもあって、混線して後半で「水島さん」とお呼びした記憶があってこわい
- 清水 淳子さん
- お話してみたいに書いて、一度はお誘い頂いたのにお応えできずなぁなぁになっていたので、ようやくお話できてすごく嬉しい
- グラレコの話、育児のお話とかがあまり伺えなかったのが心残り
- ほしあさひさん
- 『39歳の合宿免許』のスポンサー記事を企画してくださってファンとしてありがとうございますとお伝えできた
- 結構最近もDPZの記事を書かれている
- 菅 俊一さんと今回もお話ほとんどできなかった…
- もっとお聞きしたかったのが、「温度」もパラメーターに含まれうるのかってこと
- 触覚も、「触覚」「圧覚」「温度感覚」「痛覚」「深部感覚」に腑分けすることができるから、「美しい痛さ」「美しい比熱」とか「美しい圧迫感」についても考えられそう(すでに色々実験されてそう)
- 首に巻くまぁまぁひんやりしたミニ便座みたいなやつを始めて真夏につかったときは、「品のある冷たさ」だなぁって思った
- 瀬尾 浩二郎さん
- 元JDNの瀬尾陽さんと同じ苗字
- 福田 和也さんのもとで
- 足立 真帆さん
- Atelier Anthoropology
- 中村 寛(ゆたか)
- Atelier Anthoropology
- 瀬尾 陽さん
- JDNのあとはメルカリ - ギフティ
- オウンドメディアのさみしさ
- 負の出口戦略
- Wayback-Machine-friendly
- 秋山 福生
- デジタル庁、サービスデザイナー
- Jim Blinnの「円の描き方」の話をした
DAW, CMS
- DAW, VST
- スキューモーフィズムじゃないソフトウェアだからこそできるシンセってなに?
- Visco
- Bigwig
- VSTプラグインをまたいだパッチング技術がない?
- スキューモーフィズムじゃないソフトウェアだからこそできるシンセってなに?
- Wordpress
- SubstrateがHTMLなことがなによりのCRDTの実装の障壁に(y.jsがたまたまxml構造を扱えないだけ?)
- backward compatibility命
- React依存が悔しいね、Web標準とHTMLへのこだわり
- CMSはCIでSSGを回すのが主流だけど、即時的にGCIからDBの更新が走って見えるCMSって大事よね
Cultural Anthropology
- 水上 優さん
- 文化人類学者
- N=1おじさんは工学系の人に多い?
- 『ポストヒューマニズムデザイン』 訳
- Writing Culture, James Clifford
- 参与観察において自分を消さない
- CHI論文を教えていただけた。UIST論文とabstractからして書き味が違って、どういうわけか目が滑る...
- Ron Wakkary Backyard Practices: A Liminal Approach to Designing in More-than-Human Worlds
- Ingold - Meshwork ← network
- 比嘉 夏子さん
- N=1おじさん
- 実証主義的科学観
- N=1が当事者だったらどういう反応
- 平倉圭『かたちは思考する』
「『問い』を問う」を問う
ぼくが「問いフェス」、というか瀬尾さんに関して感じていたことは:
- 編集もキュレーションも中立・透明ではいられない。問いのプラットフォーマーでいるだけでなく、瀬尾さん自身が具体的で切実な「問い」を持っていないと、「問いを問う」という行為は切実さを失う。そして問うだけでなく、逆に問われる立場になる覚悟も必要だと思う
- だからQ&Aのときに瀬尾さんに逆質問をしたのだけど
- 『Writing Culture』以後、文化人類学の参与観察では、観察者自身を不透明で主観的な存在としてテキストに置くことが学術的誠実さとみなされるようになった、という水上優さんの話とつながる
- 「問いを問う」という言葉の再帰構造は、「作り方を作る」とも重なる。ただ、佐藤雅彦さんが偉大なのは、彼自身がその方法論でもって実際にCMやゲーム、番組といった具体的なモノを作ったことにある。そして何よりも、その作品が新しく面白いという事実が、彼の抽象的な理論に最大の説得力を与えている
- baku89.iconもそうありたい。ツール作家ではなく、映像を作りたくて作っている映像作家なのだから、「『ツールを作る』ところから作る」というネストはやがては外して、ただ映像を「作る」ことに立ち返っていきたいなと思う(とはいえネストが3層くらいあって、なかなか戻ってくれない…)
- このイベントをきっかけに彼の著作の 『メタフィジカル・デザイン』を読んだのだけど、「問いの立て方を考える」「概念を工学する」といった抽象的な方法論、ワークショップへの熱量に比べて、具体的な実例への言及がトリビアルなものに感じられた
- これは緒方さんの『コンヴィヴィアル・テクノロジー』を読んだときにも思ったのだけど
- baku89.iconによってのコンヴィヴィアりみはHTML Energyであり、Local-First Softwareであり、そのぼくなりのreference implementationはMorion
- また、自分自身で意見を発信するというよりも、触媒、あるいは意見の箱庭としての編集にこだわりたいというお話もあった
- けどどうなんだろう、やっぱりぼくは無色透明を目指した先には「プラットフォームとコンテンツ」という関係性しか築けないと思う 明確な編集上の意思や問いがあるからこそ、信頼をもって寄稿ができる
- 思うに、WIREDの元編集長Chris Andersonや、翻訳者としての山形 浩生も、編集と翻訳という側面で不透明で意見的(opinionated)な存在だった
- 『映像作家100人』もそうですよね。会社四季報 業界地図の映像業界版ははなから目指していない。2000年代なかば当時の、個人化する映像制作というムーブメントに対して、「映像作家」という言葉を「概念工学」し、かなりバイアスのかかったキュレーションをした
- 若林恵さんは音楽評論家としてはbaku89.iconは大好きだけど、Chris Andersonほどテクノロジーの潮流をシャープに示せたわけではない。
そして、Q&Aセッションの中で「人文的な思索とエンジニア(元Flasher)としての経験は結びつくのか」と問い返したのは、baku89.iconなりにすでに答えがあったから
- つまりSoftware Studies
- いきなり「中動態」(会話の中でカジュアルに使われるのを初めて聞いた)にまで行かずとも、エンジニアとしての経験から実感をもって掘っていける領域はあると思う
- メディア論に目が滑る自分でも、レフ・マノヴィッチについては『Software Takes Command』が一番読みやすい。BNNあたり翻訳してくれないでしょうか。有志による途中までの翻訳はあるけど
- 道具論っぽい話にしたって、baku89.iconはハイデガーはまだちんぷんかんぷんだけど、J. C. R. Licklider、Ted Nelson、Douglas Engelbartの言っていることはすごくわかる。
- あらためてネットアートについて考えてみる → Olia Lialina
- Jingyi LiのHCIにおけるクィア理論の援用 → Toward Appropriating Tools for Queer Use
- それにしても、なぜみんなエンジニアとして手を動かしてきた経験の価値を過小評価してしまうんだろうか。むしろ、美学や表象文化論を専門にする人文系の研究者よりも、実務家だったからこそ、切実さをもって理解できる思想やテキストって、じつはたくさん結構あるんじゃないかなって思う
- マノヴィッチもCGアーティストだったしね
- 東浩紀もShortsの切り抜きで、(彼がポモ/フランス現代思想方面の専門なのにもかかわらず)「20世紀の哲学はフランスではなく西海岸、つまりコンピューター領域で起きていた」とか語っていた記憶がある(うろ覚え)
- だから、ふわふわした形而上学的(メタフィジカル)な話ではなく、こうしたソフトウェアの文化研究やその背後にある哲学を掘るのは、生活を豊かにするだけでなく、実務的にも有用だと思う
その入口として、「なんでFlash(実装)から離れちゃったんだろう」は、瀬尾さんにとってとても良い問いの出発点なんじゃないかなと思う。そこからSoftware/Platform Studiesにも、道具哲学にも、あるいは労働問題、ウェルビーイングとかにも実感をもって広げていける
ぼくは瀬尾さんをもう「作りながら考える」人だとは思っていなかったから、この紹介をされたときに拍子抜けした
相当失礼だ……。でも、多分それだけFlash世代の方に伝えたかったことがあったんだろうなと思う。ほんのりした幻滅を抱えながら「インタラクティブ業界」に身を振るのをやめた立場として。


