反駁可能性 (Scratchpad)
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科学における反証可能性と同様に、「反駁可能性」のようなものがないと議論や対話たり得ないと思っている。
「あなたには自分の主張を正しいと言えない。なぜならその正当性を測るあなたのモノサシ自体が歪んでいるからね」というような論法を、特にぼく寄り(つまり、やや文化左翼的)の人の一部は使ったりするのだけど、自分には理解しがたい。
その言葉を吹っ掛けられた瞬間に、相手は黙るほかないから。あるいは「そのモノサシの歪みを測るモノサシが歪んでいないという確証はあるんですか」というように、不毛なコウ状態に持ち込むか。
思うに、「認知の歪み」なんて言葉は今まさに対話しているその相手を論駁するのに使うもんじゃない。第三者を形容するにはいいと思うけど。
そういう感じで、文化左翼的なぼくらの中で使われる用語を「それって〇〇って呼ばれていて、今すごく批判されてるんですよ」とかって、技名を叫び合うような議論の仕方自体がきらいだ。(e.g., XXハラ、マンスプレイニング、マンスプレッディング)なんで自分がそれをイヤだと思うのか、それくらいは自分の言葉で言おうよ。 それにれっきとした名前がついているから、それが最近批判のトレンドに上がっているからダメ、とかそういうんじゃなくて。
- ただし、そういう議論のコストを、今まさに憂き目に遭っている人たちに押し付けるのは違うと思う