この数年面白かったWikipedia記事の一覧
好きな一覧の一覧とは別に、個人的に読んで面白かったWikipediaの単独記事をメモ。珍項目やWikipedia文学のようなメジャーどころは大体除外。2018年頃から面白い英語版記事の翻訳も始めた。
日本を明るくする会
名称の由来は、最初の会合に集まった議員5人の頭髪が、いずれも薄かったことに因んでいる[3]。
昨今流行りのキラキラ党名的な何かだと思いきや自虐という。政党団体名らしい適度なスピり具合とのダブルミーニングが美しい。
自分からイジられに行かないと却って立場が無くなるタイプの身体的特徴の中でも「ハゲ」は妙に存在感がある。こういう動きも、明るく開き直るようで居て、あまりハゲをイジられたくない人達にとっては単にルッキズムに加担するだけの嫌な存在に映るのかもしれないと思った。とはいえ参加資格の下りは読んでいて笑ってしまうけれど。
カブトムシゆかり
なお、ムシドルとして活動するのは虫が活動する春から夏にかけてが主で、虫が冬眠する冬はパチンコ好きを活かして“パチンコアイドル”としても活動している[40]。そのため『真王伝説』など、パチンコ番組の出演も多い。これについて本人は「虫とパチンコの二毛作」だと話している[15]。
ある意味で季節労働者だ。先週末、真冬の富良野でガラガラのジェラート屋さんに行った時にふとこの人のことを思い出した。南半球とを往復して一年中ムシドルしていても面白そう。
鶏肉みたいな味
ミステリーハンターが珍しい動物の肉を食べさせられたときに、決まって「鶏肉みたいな味」と表現するのが子供の頃から気になっていたが、英語でも同じ慣用表現があるらしい。大体爬虫類のイメージがあるが、確かに身近な食肉のうち哺乳類よりも鳥類の方が爬虫類に近そう。
関係ないけれど、食レポで良い野菜を食べたときに大体「甘い」と言うアレなんなんだろう。逆にスイーツは「甘すぎないのが良い」と褒めたり。感じたことのない味覚を言葉で伝える難しさを思うと、「味の郵政民営化や~」だとか、もはやネタのようなレトリックに走る彦摩呂は賢明なのだなと思った。
即死
一般には、事故や事件、自然災害等の、外部から与えられた何らかの影響によってその場で、比較的短時間で死ぬことを指す。(…)具体的に「事後何分以内」などという定義があるわけではないが、よく言われるように「瞬間に死ぬ」と言うことは現実にはありえず (…) 、肉体が致死的な損傷を受けることにより短時間の間に死んだことを「即死する」と言っている。 [要出典]
例えば交通事故により大腿骨を損傷、大腿動脈を破損した場合、激しく出血をして、大方1分以内に失血死する。轢死などでの頭部切断や腹部切断では、数分間口や手足を動かしたりすることもある。これらを大抵「交通事故により即死した」と言うが、この場合でも、激しい出血によるショック状態、そしてそれに伴う意識喪失、連続した血圧低下など様々なプロセスを経ているため、決して「瞬間に」死んでいるわけではない。
即死というと痛みもなく一瞬で死ぬイメージがあったけれど、定義上はそうでは無いらしい(要出典)。「即死と聞いて苦しまずに死んだだけでも救い」という遺族の方のコメントをよく耳にするが、実際には数秒・数分足らずとも、消えゆく意識の中で痛みを感じる時間があったと具体的に想像してしまうと辛いものがある。
映画でもよく、味方が戦闘機で特攻して爆発するシーンがあるが、実際には体が千切れるのか黒焦げになるなのか、ともかく何らかの致命傷を受けて死に至る過程がコンマ数秒の中でも確かにそこにあることを考えると、ケレン味で誤魔化しているようでいて中々グロテスクなシーンなのかもしれない、とふと思った。
皮肉記号
疑問の「?」や驚きの「!」以外にも、文章のニュアンスやテンションを表現する記号はあっても良いんじゃないか、という提案。意外に歴史は古く、16世紀から色々な種類の記号が提唱されている。
文字を規格化する必要性自体、活版印刷の仕組み上たまたま生じるものでしかないと気付かされる。それがあまりに当たり前になりすぎて、「!」や「?」で過不足無いように感じがちだけれど、現に「。。。」や「!?!?」「(笑)」のように、既にある約物を巧みに組み合わせて、新しいニュアンスの約物を生み出しているとも言えるわけで。
文字の記録・複製のテクノロジーは活版印刷、写植、そしてデジタルデータ上の文字エンコーディングと進化してきているが、どれにしたって結局何らかの「文字セット」のもとに文字を規格化することを迫られてきたことに変わりない。
しかしここに来てUnicodeという、文字セットが実質拡張し放題の仕組みが現れたことで、 500年越しに文字を規格化する必要性そのものが揺らいでいる。書き言葉は、複製しやすさのための規格化と、話し言葉の情感を出来るだけロスレスで文字に変換するための記号の多様化との間のせめぎあいの中、一定の 平衡を保っていたが、規格化の圧が緩まったことで、また別のバランスを探り当てるまでの過渡期に突入した。
そうした動きの一つが絵文字だと思う。 「💨」や「 💦」のような漫符を語尾に使うのはまさしく「!」や「?」でカバーしきれない文章の情感を補う新しい約物の発明とも言える。そう考えると、皮肉記号は一見奇妙に思えて、文字セットという仕組みによって必然的にディジタイズされてしまった書き言葉の情感の「きめ」を、そこに上乗りする形で取り戻す当時なりの抵抗の仕方だったのだろうなと思う。
経度の歴史
経度という概念は緯度とともに古代から存在したが、基準に基づく経度の測定は緯度と比べて難しく、正確に求められるようになるまでには長い年月を要した。
「長さ」や「重さ」と違って経度が面白いのは、測る対象が地球という「たまたま今現在そういう形をしている」ものであり、さらに緯度と違い原点を恣意的にしか定めることが出来ない以上、原理的に普遍的定義をし得ないということだったりする。もともと「秒」も「メートル」も、それぞれ地球の一日と、北極点から赤道までの長さを基準に制定されてた。それはやがて原子や光の物理量を基にした定義に置き換えられ、かつての基準だった地球の自転速度や大きさが変わろうと影響を受けないものへとアップデートされた。しかし、プレートの移動によって地球の「歪み具合」も変わり、グリニッジ天文台(厳密にはその百数メートル程東が本初子午線だが)の場所も移動していく中で、経度だけはその都度基準や測り方を調整していかなくてはいけない。そんな「単位」としての基盤の危うさ、儚さが個人的に刺さった。
郷土富士
日本最低の郷土富士は愛知県佐久島にある「富士山(ふじやま)」で31 m。単に名前が同じだけという。
また 海外にも日系移民によって富士になぞらえられていた山があったらしい。フィリピンにもマヨン山という郷土富士があるが、フィリピンの人にとっては富士山は「郷土マヨン」として映るのだろうか。
富士山とマヨン山は氷の山、火の山として姉妹火山提携(?)をする話も上がっていたらしい1Mayon-Fuji sisterhood to be forged。
キメラ色
黒いにも関わらず、彩度のある色。 … 紙のように本来光を反射するだけの物体が、あたかも光を発しているかのように見える光。 … 現実にはありえないほど鮮やかな色。
鈴木哲生さんに教わった記事を翻訳。残像や、左右の目で違う色を見たときに混ざり合って見える領域を「色」として分類する発想は無かった。一方で「金色」や「真珠色」はある単一の色というより、見る角度に応じた反射光の変化の仕方でしかなくて、それを色と呼べるなら、残像によって見える「白より明るい赤」もまた色と呼んでも良いのかもしれない。
こうしたキメラ色をアートやグラフィックデザインに応用する動きはあったのかな。ジェームス・タレルの作品はそういう趣を感じる。
構造土
凍結融解作用によって形成される幾何学的な形をした地表面の模様や微地形である[1]。
地元北海道の大雪山でも見ることができるらしい。大地のジェネレーティブアート。翻訳途中。
フィラー(言語学)
会話の隙間を埋める「あー」「ええと」などの発話。ポーズフィラー、フィラーワードとも。
世界各国のフィラーを網羅。「I mean」系はバリエーション豊かだが、「eh」はそこそこ万国共通なのが面白い。口を脱力させた状態で出る母音である以上そこに収斂するのかな。
ワルシャワラジオ塔
「超高層建築物」と聞くと、ある程度太さがあって展望台もあるビルやテレビ塔を想像しがちだけれど、単に高さだけを求めるなら、ワイヤーを張って支えただけの軽くて細長い棒でも良いことに気づく。ワルシャワラジオ塔はそのワイヤーが弱点となり、交換作業中にミスで倒れてしまうが、その646mという高さはブルジュ・ハリファが2008年に更新するまでは歴代最高だった。この発想で、高さを更新するだけの目的で細長い棒を安く作る人がでてきたりして。
五嶋みどり#“タングルウッドの奇跡”
五嶋 みどりは、日本で出生したアメリカ合衆国のヴァイオリニスト[注釈 1]。 … 1986年、いまや語り草となった事件はボストン交響楽団と共演したタングルウッド音楽祭で起きた。
リアルヘルシェイク矢野だ。しかも当時14歳。アメリカの小学校の教科書にも載った。
イヌクテトゥット語版Wikipedia
SF映画に出てくる宇宙人のニセ言語のような感じすらする。子音を表す文字を右倒しか左倒しかすることで3種類の母音を表現する面白い文字体系。
チャンプ島
ロシアの北方に浮かぶゼムリャフランツァヨシファという諸島の中央に位置する小島。コンクリーションという現象によって形成されたきれいな石の球体がゴロゴロ転がっていることで有名。かわいい…。WARPの30周年記念のやつのアートワークが偶然似ていて思い出した。
磁石の山
磁石の山(じしゃくのやま)あるいは磁石山とは、磁力によって鉄を引き寄せるといわれていた山。
昔のヨーロッパの船乗りは、コンパスの針はどこか北の遥か彼方にあるmagnetic mountain(磁力の山)またはmagnetic island(磁力の島)を指すと信じていた[1][2]。
北極磁 – Wikipedia
磁石の山の存在を信じてひたすらコンパスの北の方角に向かって船を進めた探検家がいたとしたら、とてつもなくワクワクしただろうなと思う。実際には、北極磁に人が到達するころには地磁気の仕組みはおおよそ正しく理解されていたのだけれど。
小柴昌俊
大学院生時代に、当時、神奈川県横須賀市にあった栄光学園にて物理の臨時講師を担当した。「この世に摩擦がなければどうなるのか」との質問を生徒に出題。摩擦がないと鉛筆の先が滑って答案は書けない、それ故に正答は「白紙答案」。解答を記入すると不正解になる難問を出題した[6]。
四国国境
拙訳記事。オリジナル記事の Quadripoint はtripointからの造語で、国に限らず州や自治体の境界線も含む。3カ国が接する三国国境は世界に176ほどあるが、四国国境は歴史上3つしかない。
国境に限らず、人間社会の都合で決められた境目や極点に惹かれる。分水嶺のように地理的に明白な目標物があれば良いものの、なんでもない畑の中に、行政的に重大な意味を持つ境目や特異点がオーバーレイしている事実がAR的で楽しい。
アイスランド人の名前
アイスランドでは直近の父(時には母)の名前を反映した父称(母称)を用いる。 例えば、Jón Einarssonという人物にÓlafurという息子がいる時、Ólafur のラストネームは父親と同様のEinarssonとはならず、文字通り「Jónの息子 (son) 」を示すJónsson (Jóns + son) となる。… 同様の慣習は娘に対しても用いられる。Jón Einarsson の娘 Sigríður のラストネームは … 文字通り「Jónの娘 (dóttir) 」を示すJónsdóttir (Jóns + dóttir) となる。
ヨーロッパでは多くの地域で廃れてしまった習慣だが、アイスランドでは現在進行系で使われている。父と母両方から名前を受け継いたレイキャビク元市長も。こういう仕組みですんなり回っている国をみると、 夫婦別姓制度にまつわる議論も(現実性はともかく)姓の命名法からして見直すという角度からの意見があっても良いのかもしれない。
ねるねるねるね
2008年の時点で、再び魔女が登場する初代CMを再放送する企画があったものの、魔女を演じたフランシス・ケネディが消息不明になっていたため、断念したという。先述の2011年2月以降の配役も旧版とは別人である。
合食禁
民間信仰としての「悪い食い合わせ」と、栄養学的エビデンスに基づいた合食禁の一覧。