橋本 Hashimoto   Baku

橋本 Hashimoto   Baku

自己帰属感 (メモ)

このページは個人的なメモ書きです。何かあればご連絡ください。

ギブソンとノーマンの間でアフォーダンスの解釈に齟齬があったように、『融けるデザイン』がUI/UXデザイン界において少しズレた形で理解されているんじゃないか、みたいな雑談を最近していた
しろ面白いと思う(不透明さこそbaku89.iconの興味の中心だし)ただ、かの本の実践としてはちょっとズレてるのでは

つまり「直感的なUI」は存外社会構築的なものだということ、WIMPやハンバーガーボタンのようなイディオムに根ざした分かりやすさと、フィッツの法則や触覚フィードバックのような人の認知・運動能力に基づく使いやすさととを腑分けしとこうという話が、逆に理解されている気がするって意味

直感性は(それを「直感的」だということにする慣習や技術、社会制度に無自覚に)UIそのものに内在する性質だとナイーブに見做すこと、UIデザインをカーソルやHIDのようなミクロな仕組みからボトムアップに立ち現れる身体性や手触りのデザインとしてではなく、コンポーネントライブラリの組み合わせ、あるいはもっと大雑把に「導線設計」などと捉える傾向は、特にオンスクリーン系の界隈に多い印象がある

それ自体が昨今のUI系ツールの機能にアフォード(誤用)されて生まれた価値観とも言えるけど

『融ける』とは関係ないけど、現行のUI/UX的な知見は、より注力すべき「本質」なるものがあると信じてそのツールを単なる手段として用いる技術オンチ(non-techies; Eric Raymondの言)にはある程度有効だけど、その道具をつかうことをそこそこ自己目的化しながらも、局所最適ではなく広域探索、もっと言えば探索空間自体の再定義を志向するオタクにはあまり機能していないんじゃないかって思う。オタクのためのUI言語が必要性を、オタク(ワナビ)として日々痛感している

コックピット型UIが欲しいのにメニュー型UIを、ユーロラックが欲しいのに、SunoAIやアンパンマンピアノを与えられている感覚。君の本当のニーズは “ドリルの穴” だろう? などと言われて。サーキットベンディングも出来ない

  • UIの透明性は、レイテンシとかそういう問題以前に、いかにOSやプラットフォームのイディオムから逸脱しないか、が実の一番大きな因子だと思っている
    • これはちょっとした批判になってしまうけど、山田啓太さんのvirtual scroll実装は、御本人の『融ける』への偏愛に反して「自己帰属的」ではなくない? とは思っている
    • けどそれがダメって話じゃなくて、表現として、手触りとしてむ