知ったかぶりたいものの一覧 (メモ)
このページは個人的なメモ書きです。何かあればご連絡ください。
- James Bridle
- 松本 俊夫全般
- 僕がなんで松本俊夫先生の作品を難解でブチ上がりづらいと感じてしまうのか、もっと理解の解像度を高めたい
- なんで宇川さんは師事?したの?
- カレル・ゼマン、ノルシュテインをもっと深く知ったかしたい
- ダニエル・デネットの意識にまつわる云々
- 多分、再帰の心、メタである美意識、みたいなものへのフェチの源泉をホフスタッター一人に頼りすぎてて、薄っぺらい感じがある。マインズアイで共著しているとはいえ、ちゃんと彼自身のアレをアレしたい
- 再帰の心のマスターが到達した、生命的なもの、神的なものへの悟り
- チューリングの霊感、ゲーデルの理神論
- あんだけ影響を公言していた「Director's Label」、第二弾をちゃんと観てない
- トンチじゃないんだもん Jonathan GlazerのVirtual Insanityを除いて
- 不完全性定理、もっとちゃんと人に説明できるくらいになりたい
- 証明の大筋は分かる、腹ではそのエッセンスを理解しているつもりだが
- カール・セーガンの本を一冊も読んでいない
- 『COSMOS』を観たことがない
- 一年の8割の期間におけるオールタイムベストは『コンタクト』なのにね
- 残り2割は、気分によって『インターステラー』と『NOPE』との間で揺れ動いている
- サイエンスライターつながりでいうと、マーティンガードナーも読んでないよね
- Software Studies
- Smalltalk, Haskell, Prologをより深く
- Clojure、Glispの文法と混じって全然書けんくなってきた
- K-System
- NEORT++ 『流れのパターン / Patterns of Flow』で、アーティストもキュレーターもだれもK-Systemを(ざっくりとした思想的な側面ではなく、具体的な実装面で)腹から理解して再解釈しているように思えなかった
- 僕も
- なんで、ちゃんと腹でトレースしたい
- ヒップホップ
- 社会人になって初めて教わった言葉は「サグい」だった
- 周囲の人の影響か、阪大行った友達が関西弁混じりになる、みたいな現象が若干自分に起きている
- FTDさんにその感じをlookdev勉強会の時に見透かされたような気がしてドキッとした
- ジャズ
- 清水幹太さんが「インタラクティブ作品の一回生」について語るとき、ジャズを引き合いに出すのが癪に障る
- ジャズは確かに1回性の世界かもしれないけど、ディレクターになったり、コンサル化することで「上がる」という発想は無いのではないか。奏者として「ニュアンス」の深みの世界と添い遂げるんじゃないか。
- 面白い / オモシロい
- ジャズ奏者って、広告の人らみたいに揃いも揃ってクリエイティブなの?
- アイディアの還元主義
- まったく関係ないけど、最近よくお話する武田誠也さんの語りが聞きたくてBasculeのPodcastを再生したら、ジングルが『オモシロ』過ぎて、本編まで聴けなかった
- ロザリント・クラウスとconvention
- 読んだが。もっと腹に落としたい
それまでの、固有のメディアやジャンルの中で工芸的な巧さを競っていた芸術において、メディアアートはメディアやフォーム(様式)そのものに相対化を仕掛けるような作品制作をしていることが特徴的だと思います。だけど、メタなようでいて、結局「メディアアート」特有の佇まいやトーンが成す新しい様式自体は、彼ら彼女らにとって不可視化されているようにおもえてならないんです。これを、ロザリント・クラウスのconventionになぞらえてなんかウマいこと言えない?
baku89.iconロザリンド・クラウスの「コンベンション」(convention)という概念は、芸術がある一定の慣習や規範の枠内で進化することを指摘しています。彼女は特に現代美術が、既存の慣習を無意識的に取り入れてしまうことで、自己批評的な姿勢を失う危険性を指摘しています。この観点をメディアアートに当てはめると、メディアやフォーム(様式)を批評的に相対化することを目指しているにもかかわらず、メディアアート自体が一種の新しい「コンベンション」を無意識に形成していると考えられます。つまり、メディアアートの作家たちは、メディアの特性や形式そのものを解体しようとしている一方で、実際には「メディアアート」独自の美学やトーン、さらにはその特有のスタイルが、彼らにとって見えない「コンベンション」として機能している可能性があります。これをクラウスの言葉を借りて言えば、彼らが破壊しようとしている枠組みは、気づかないうちに新しい枠組み(コンベンション)へとすり替わっている。批評的な態度のつもりで作られた作品が、気づかぬうちに同質化されたメディアアートの慣習に囚われてしまっている、ということです。
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