橋本 Hashimoto   Baku

橋本 Hashimoto   Baku

時代的耐久性 (メモ)

このページは個人的なメモ書きです。何かあればご連絡ください。

久野遥子さんを評して岩井俊二がそう形容していたのを聞いたのが最初

岩井
 一見するとなんの変哲もないかわいらしい絵なんだけど、アニメーションとしてロトスコープ並みに動かせるっていうモデルが中にいるので絵として破綻もしていないですよね。しかも、久野ちゃんの絵は
時代的耐久性
があって、たぶん10年経っても20年経ってもバグが発生しないですよ。実はマンガの怖いところはそこで、大丈夫だったものが10年後20年後にバグになってる。読者の脳の処理能力が上がるとあの大友さんのマンガですらバグが出て、あの『AKIRA』にも「ウッ」と思うところが発生してくるんです。そういう意味で基礎っていうのはすごい大事なんですよね。

第21回文化庁メディア芸術祭/マンガ部門新人賞『甘木唯子のツノと愛』 久野 遥子 ✕岩井俊二トークイベントレポート

時代には耐えられなくて、今観たらなんのこっちゃ…となってしまった(と少なくともbaku89.iconが感じてしまった)もの

Undefinedとか、Yuhei Kambeさん、Zaoeyoさん、あるいは斉藤裕太さんのような人達の超絶クオリティを前に、
これの何がスゴかったんだっけ? と霞む
残ったのは背伸び感と可愛げだけ

学生の頃話題になっていた
これがバズった後、この方から2万円でモーショングラフィックス仕事の以来を頂いたことがある。丁重にお断りした
これが今観てアレなのは、動かしのセンスの練度以上に、題材の陳腐さ?
けど「意識高かりし」当時は、こういう格言もまたありがたがっていたようなするし、当時からコケにしていたような気もする

僕にとっては小島さんや菱川さんも金字塔なんだけど、学生の頃観たソウル・バス程度には実は「退屈な古典」になっているのかもしれない

hsgnさんのVanishing Pointを最初に観たときの衝撃たるや

けどあの作品の要素は、あまりに無数の人達によって再解釈、模倣され続けた結果、今モーショングラフィックスを始めた人が観たら「で?」で終わるような気がする
けど、作品として残ること以上に、その作品を構成するアイディア、考え方、態度といったミーム単位で拡散していくことのほうが、実は取り返しのつかない爪痕を世界に残したことになるのかもしれない

群淘汰、個体淘汰に対する遺伝子淘汰の考え方は、ミーム界にも敷衍できる

hsgnさんにとっての「残したくなさ」(それはミーム、ジーン界両方において言えることだと思うんだが)、実は何が何でも表現や自分という存在が揮発することへの希求ではないのかも 「個」という単位じゃなくて、「形質」や「方法論」という遺伝子の単位で、自分という存在が良い「容れ物」として機能してくれたら、まぁ、結構なことなんじゃない っていう、独特な自己保存欲求といえるんじゃないか