Hashimoto   Baku

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安息角 (メモ)

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にしても、あれだけ「ぽさフォビア」だった自分がこうも手のひら返ししているかというと、生成系AIというよりはメディアアートの影響なのかなと思う。自分が「ぽさワナビ界」に向けている目線は、同時に僕がメディアアートから向けられていたものでもあった。半分被害妄想だという自覚もあるけど。SFPCに通っていたころ、センボーさんに「麦君はMVでいいの?」と訊かれたことがあった。自分なりに解釈すると1080p24の矩形映像というメディアに囚われていて良いの? ということでもあるし、僕自身の作品なのに音楽の従属物として、もっと言えば単なるプロモーションに留まっていていいの?という意味だと捉えている。けど結局のところ

それはexonemo自身も、HTML標準や、AC100Vで駆動する


巧さへの憧れと鍛錬の価値を軽んじていたことに、すごく反省している。ブルドーザー運転手の視点ではなく、粒の一つとして砂山を語るときに、客観を決め込んで 「淘汰される」なんてとても言えないな、とも。文化における市場原理は「流行」という現象のネットワーク外部性を考えると、表現同士を似通わせる、つまり重力として作用

しがちだと思う。に対してAI技術は、どう斥力

あるいは重力に加勢して、カチコチのごま団子を作ることか、それは「止められない」ものではなく、選べる未来だ。ソフトウェアエンジニアリングの世界がそうだったように。リバタリアニズムは世界を理想気体や層流のように捉えるようなもので、ある意味では「楽」な思想だとも