オープンアクセス (メモ)
このページは個人的なメモ書きです。何かあればご連絡ください。
- 最近、田中大裕さんとめっちゃ激論をした
- つまるところ、デジタル映画祭的なるものの実現に向けてどういう地ならしをしたらいいかって話なんだけど、ある意味「対偶」(論理式は反転しているが意味は同値)な感じが浮き彫りになった
- 自分はすべてをオープンアクセスにしたい派。イベントをやるなら最低でもログやプレイリストは公開したいし、落ちた応募についても公開したい
- それは単に自分の知見は価値があるって思っているわけじゃなくて、テキトーなことを言っていたとしても第三者の検証・参照可能性を残しておくため
- クローズドな場で言いっ放しにするほうがむしろ尊大で怖いと思う
- 「ドコドコの大学で非常勤/講師しています」っていう箔だけをCVで独り歩きさせる感じ
- 「メディアアート界隈は裏で助成金情報や選考書類を回し合っている」 ← IAMASで感じたのは、こういう「ムラ」感なんですよね 卒業生同士のネットワークと言うと聞こえはいいけど…
- 都会育ち、美術やデザイン教育にスルッとアクセスできて、世帯構成的にフッ軽な方ほど、展示や配信無しのイベントという形態を取ることで疎外される存在に無自覚な傾向があるなぁって思う
- 最近面白い場に混ぜてもらうたびに、どこか後ろめたくなる
- 連絡先のFAQでも「講師業については、授業内容を後日何らかの二次利用な形が可能な形で一般公開できること」という条件をつけている
- Tama Design University『今更どう映像技法をひねり出すのか』
他方、田中さんが言っていたおもしろかったのは、「すべてを公知にさらけ出して、議論を重ねていく」っていう弁証法的世界観は、存外コンピューターサイエンスの世界に限った話なんじゃないのか?って話だった
- 自然科学系の学会誌だってとっても高いしね
- そしてぼくら論文執筆者はむしろACMにお金を払って論文をオープンアクセスにしてもらっている(そのお金は所属先から出るのだが)
- ポパーの反証可能性にしたって、あくまでそれが自然科学たるための要件であって、「学問的態度」の定義そのものではない
- むしろ、ある種の人文知ってのは、クローズドな場で、論壇というものを神秘化しながら発展してきた
- 「エスタブリッシュメント達の高踏的な言葉遊び」って言われるが、それは確かにそうなんよっていう
「プロプライエタリ数学」があったら馬鹿げているように、「プロプライエタリ・ソフトウェア」は否定されていかなくてはならない、とか言ってたのはリチャード・ストールマンあたりだけど、ぼくは結構それを美術教育全般にも感じちゃっているのかな