橋本 Hashimoto   Baku

橋本 Hashimoto   Baku

アイデア『大曲都市の仕事』 (メモ)

このページは個人的なメモ書きです。何かあればご連絡ください。

大曲都市

アイデア最新号、今の制作環境下でただ映像を作ることに無為さを感じながら、かといって本業ではないツール開発に時間を潰していることにも悔しさを感じている身として、領域は違えど制作者としてありうべき態度や豊かさが伝わってきて本当に良かった

  • Glyphs自体が十数年の歴史しかなかったり、大手ファウンドリは内製ツールのR&D部門との両輪でプロジェクトを進める事情もあって、ツールが日々の制作のなかで少なくとも映像業界やMGシーンほどは透明化されていないようにも思えた
    • 日々モーショングラフィックス作品を見ながら、この子(画面上の要素)たちはアフィン変換でしか動けてないな...と感じてしまうことが多い
  • 表象や構造、それに伴う包括的な体験と、そのガワとしてのデコラティブな部分とを分けて考えて、前者の方が注力すべき対象としてより「本質」的と考える二元論的デザイン観が、特にオンスクリーンだと中心的になってきている気がする
  • デザイナーがよりそうしたものに注力出来るように、プロトタイピング機能やコラボレーション編集機能などといった。それ以外のデコラティブな部分の操作については、この十数年さっぱり進化していない
  • それはプラットフォームやデバイスのルックに合わせることだったり、「今どき」なトーンに見せることでブランドに信頼感をもたせることが目的になり、装飾的な遊びの余地が少なくなったことも関連しているのでは
    • 「今どき」の幅が特にオンスクリーンの場合収斂しがち。2008年頃には鏡面反射するMyriadが「今どき」だったわけで
  • Webやアプリ業界の人材流動性が高いこともあって、仕事に属人性が求められなくなった。クセスゴは要らない 
  • 一方、書体デザインは稀有なシーンで、レタリングや作字などとも違い具体的なコンテンツやクライアントと紐づいていない
    • 企業向けカスタムフォントの場合は別だけど、それでも、コンテンツの内容(紙面、広報物、ページ)とは一定の距離がある
  • それゆえに、ガワのディティールこそ本質であり、ユーザー体験であり、そして当然デコレーションでもある(のか?)
  • その不可分さが嬉しい
  • 大曲さんのプロジェクトではないけど、アフリカ諸国の文字体系のための統一フォント開発の話も良かった
    • デザイナーとして、作業者として、成果物と真摯にチマチマと向き合うことそれ自体がsocial goodになる
    • ガワを作るんじゃねぇ、体験、そして構造からコミットしていくんだ!的なメタゲームがそこには無い
    • 書体デザイン業界におけるポストコロニアリズム的問題意識
  • 関係ないけど、宮崎駿は絵コンテから描き始めるのを思い出す
    • 脚本(言葉やト書き)と、それを画面上でどう演出するかという二元論もまた、産業化の過程で「発明」されたものだった
    • レコード業界もそうですよね。作詞・作曲・編曲、そして歌手。そこに対するカウンターとして「シンガーソングライター」が出てきたわけだけど
    • 分業には分業の良さはある。だけど一人の脳の中での、さまざまな分野にまたがる知識や思考の結合の強さを考えると、人と人との言葉やメディアを介したコミュニケーションの速度はUSB 2.0のようなもの
      • その帯域の狭さを補うために、有名作品を共通言語としたり、クリシェ、ジャンル的な表現に巧みに符号化する
        • 「この映画は観とけ」的なアドバイスは、いわば我々がディレクションする際に用いる圧縮アルゴリズムを学べ、ということに過ぎない
        • 映画に限らず、音楽、小説、数学、ゲーム、土木技術、実験映像、言語学、計算機科学、あらゆる文化に「これだけは摂取しておけ」は無数に存在していて、そのほんの上澄みを摂取しているだけでも人生は潰れる
        • VFX業界やアニメ的なアティチュードとはまた違う、音楽レーベルやポストネットアート的なものと結びついたビジュアル文化は学生のころから掘っていた(Wilderness)。ハッカー文化、佐藤雅彦、Laurence LessigDouglas Hofstadterに触れたことは自分の制作には役に立つが、映像仲間とのコミュニケーションにはさっぱり役に立たない。そのどれも僕は「これを観ないと人生損してる」と思うものばかり
        • ただ、そうした符号化を自明の理として受け入れている人ほど、広大なオルタナティブを知らないがために、「この映画は観ておけ」がその人のより低次元の潜在空間の中ではかなりの領域をカバー出来るように仕上がってしまっている。批判として相当遠回しだけども
        • そして「じゃないもの」を狭いアンダーグラウンドに押し込む。収斂進化の先の局所解としての「王道」に比べると、むしろこっちのほうが探索空間的には広いんよ、と思う
    • 「第二の波」は、規格化、組織化、中央集権化によって、さまざまな領域に規模の経済をもたらした。多くのものが安価になると同時に、属人性や多様性のようなものもスポイルされた
    • 「第三の波」は個別化の波ではなく、実のところ第二の壁を情報産業で繰り返しているに過ぎない。機械というハードウェアの代わりにソフトウェアがそこに居るだけ。しかも、ソフトウェアは、個々のエンドユーザー向けアプリに落とし込まれた時点でハードウェアのエミュレートしか果たしていない。そのハードコードされた(hard-coded)機能をただ一方的に使わされる
    • そしてその状況を、少なくとも「ソフトウェア」なるものの可塑性、自己改変性にアクセス出来るプログラマーではない、僕ら制作者は進んで受け入れてきた
      • しかも何十年も同じツールがデ・ファクト・スタンダードとして定着することで、その機能は限りなく透明化されている
    • そこへの開き直りもある
      • 視覚表現で出来ることはやりつくされた(「平面絵画は死んだ」)、コンセプチュアリズムの影響
      • むしろ既存のなにかにできるだけ手を加えずにただ違う文脈を付与することの方が、コンテンポラリーかつポモ感がある。ある種の軽やかさもある。
      • カウンターカルチャー的な力みがあろうと、デフォルトをありのままに引き受けるというある種の「醒め」があろうと、ブランドや権威を簒奪するという意味ではおおよそ同じ
        • そのブランド自身とコラボレーションし内側からシニカルにちくっとやるしぐさも含めて
      • ただ、そのアティテュードをAdobeに向けるのはナイーブにも思えて
      • それは簒奪ではなくて順応。どうシャウトしてもそれを使わざるをえない状況への(自分自身に対する)エクスキューズに映る
      • 「Adobeを批判することは確かに出来る。色々問題点もある。だけど、『完璧なツール』なんて無いし、それが出てきた時に、むしろその完璧なツールを使っても最高なものは作れない自分の不完全さを直視させられるグロさに皆は耐えられるのかな」的な話をされた
      • いや、僕がいまこうして作っているツールも「完璧」を目指してはいなし、単にプログラマーや音楽家など他のジャンルの人達が使う道具がもつある具体的な性質(Bootstrapping Strategy)が映像やデザインに足りてないから実装したいというだけ
        • 理念的、原理主義的なものではなく、あくまで具体的に必要なモノやコトがそこにあって、実現したいだけ
      • あえてIllustratorだけを使う、あえてAEの標準プラグインだけを使う、その中でハック的用法を見出すだけでも探索空間として十分な広さじゃない?という態度には、色んな意味で生暖かい目で見守ってしまう
        • 確かにアリモノで機転と応用を効かせて必要に足るものを素早くこしらえる、出し抜くという意味では「hack」的。ただ、そのアリモノは薪でも電話網でもなく、一部の人しか知らない私企業のプロプライエタリ・ソフトウェアの、ある特定のバージョンにおけるそのまたごく一部の機能。なんかハックの対象としてショボい気がする
        • 自分は内心そこに選民思想的かもしれない あなたがた(大体その環境に長く触れた先輩方)はまだ本当の「ソフトウェア」ってやつを知らない。ごらんに差し上げますよ。みたいな
        • まさに高踏的…
    • 話は第三の波に戻って、巨大化すること、集約すること、分業すること、そして規格化(均質化)することに経済性をもたらすようなテクノロジーに対して、「シンガーソングライター」的に個としてサバイブする術を提供するテクノロジーが自分は好き。できるだけ小規模で、個々人が高い裁量を持ちながら文化の裾野を広域探索するための術としてのテクノロジー
      • コストのy切片を0にして、「小規模なら小規模なりに自分たちくらいは食わせてやれる」人たちがたくさん増えれば良いなと思う(アテンションは指数的、コストは1次関数的
      • デジタルファブリケーション技術もその意味ですき
        • 原型費というy切片を下げた
      • 半世紀前なら商店街でのんびり自営業でも出来ていたような社会階層が、そうした労働集約化のなかでブルシット・ジョブあるいはギグワークに従事させられることで労働疎外の憂き目にあっている
        • インボイスの文脈で「効率が悪く体力のない零細企業や個人は潰れろ」みたいな批判を目にすることがあるが、むしろバックオフィスを無駄に煩雑にすることで、テクノロジーが押し下げてくれたはずのコストのy切片を人為的に引き上げているだけ(そしてそのコストを外注することで得するのは一部のフィンテックや士業)であって、小さなチームであることに効率の悪さが内在しているわけではない
        • 免税事業者には厳しくするのにNISAはよりユルくするって、「有利さを元手により有利になる」正のフィードバックを強化するだけでほんとうに辛い
  • 「餅は餅屋」は違う領分における職能をリスペクトをしているようで無関心さとも表裏一体
  • そして、大きなチームにおける細かな分業は、個々の専門家同士のコミュニケーションにおける符号化や圧縮を通して欠落するニュアンスと引き換えに、局所最適には都合が良い。そこに一定の質も伴うのも事実
  • ただ自分は、物語とアニメーションが不可分に結びついている人が考え出すもの、音の質感と詞とメロディやリズムが一体成型される人が作るものに宿るニュアンスというか、符号化されてなさのようなものが好き
  • 大曲さんのような、いつもエンジニアにお願いするのも申し訳ないからPyhtonを学んでおこう、カーニングが辛いからXboxのコントローラーやProMicro、ギターをハックしていい感じのインターフェースを作っちゃった、みたいな軽やかさ、学際性がある人は、制作者として本当に尊敬できるなと思った
  • いや、結論と話が繋がらないんだけど眠いから寝る