このページは個人的なメモ書きです。何かあればご連絡ください。
- ハードワークの経験はハードワークをこなす為の糧にはなる(同語反復)
- ただ一方で、質的な鍛錬はそのクソ忙しさの原因のうち比較的少数の制作を通して済んでいる実感もある
- あのタイミングでアレをやらなくても、手が速くなる以上の経験にはならなかったと思うというか
- そう思う背景には『量は質』への不信がある
- 種類と分散こそ質(モンテカルロ法的な意味で)
- 1000本ノックは大事だけど、それは行き着く先が決まっているなかでの所作の局所最適化であって、そもそもそのアティチュードが根本から正しいのか、そのしつらえを無意識的に生み出すアーキテクチャをどう認知するか、などとというメタな思索には、単純反復で鍛えた運動野はあまり役に立たない。いや、案外役にたつこともある。どっちだ…
- 質的な向上をもたらしてくれる制作の割合は全然増やせる気はする。良い制作をするためには結局量をこなすべき、とは自分はあまりならない
- 八谷和彦さんだったと思うけど、「自分の仕事のうち皆んなに覚えてもらえるのは3, 4個。それを時代に耐えられるようしっかりと取り組み続けること」みたいなことを仰ってて、多作こそ正義な空気感にしんどさを感じていた身として救われる思いがした
- 最近キャリアについてのインタビュー記事で、『言いづらいけどハードワークは大事だった』みたいな発言を目にした
- 過去の自分の働き方(働かされ方)を自分なりに肯定するのはその方の権利だと思うけれど、そのセラピーに次の世代を巻き込まないでほしい、とは若干思った