橋本 Hashimoto   Baku

橋本 Hashimoto   Baku

口汚さ

5月に公開した「Making of Kindolphin」は、今まで書いたメイキング記事の中でも一番反響が大きかった。メイキングというか、実質「インタラクティブMV個人史」であり、かつて憧れた業界へのお気持ち表明なんだけど。

いろんな人からいろんな感想をもらった。なかでもとりわけ芯を食っていたのは「どれだけ丁寧な言葉を尽くしても、人は文意に傷つくのであって、むしろその丁寧さはかえって心を抉る。口汚い表現のように書き手に落ち度がある文章のほうが、批判される当人としてはある意味で救われるんだ」というフィードバックだった。これは大橋史さん、hsgnさん、田中大裕さんと話したことを合成した解釈。

ちょうど最近、The Stallman ReportLinus TorvaldsのFワード発言などを引き合いに、ハッカーカルチャーに根付く露悪と加害性についてhysyskさんと雑談してたっけ。そんななかで、結局ぼくらは山形浩生的なインテリジェンスにあこがれてきたんだ、という話に。ぼくにとっての山形さんは、Eric Raymondのハッカー三部作やLaurence Lessigなどを日本に紹介してきた人であって、翻訳という行為を通して国内の思想に影響を与え続けてきた人だ。バロウズ、あるいは本業に関連した著作は実はうっすらとしか知らない。だけど、彼の仕事だと知らずに読んできたものも含めて、10代のころから山形さんの文章に触れてきた身として、彼のポモ嫌いだったり、シニカルで切れ味鋭い視点は、どこかで自分のなかに深く根付いている。今でも現代アート作品のステートメントで「オートポイエーシス」みたいな言葉がテキトーに使われてるのを見ると心の中で嘲ってしまう。

けど、山形さんがどんなに浅田彰とやりあったり、Webサイトで自身の寄稿誌の悪口を言っていても、ちゃんと「成立」していたのは、結局のところ彼ほどの知性とバランス感覚あってのものだったのだと思う。(人によっては成り立ってないのと感じるのも分かる)凡人のぼくらとしては、やっぱりナイスでなくちゃ。そして、どこかで感じていた「芯を喰っているけどイヤなヤツ」 への憧れを捨て去る時期なんだ。ブリリアント・ジャーク(頭が切れるがイヤな奴)なんて言葉があるが、そこまで頭が切れない自分がどれだけ彼に憧れたところで、それはただのイヤな奴でしかない。

一方で、どうせ文意が人を傷つけるなら、読み手がぼくを心地よくワルモノにできる文章のほうがむしろ良いのかもしれない、とモノは試しで書いたのが「Nov 25, 2024: ART & TECHとバズワード消費」ってわけ。美術手帖に寄稿して以来文体が迷子だったので、高二病を拗らせていたころの自分に立ち返って、山形さん本人ではなく、彼の翻訳文の文体を真似て書いている。これを告白するのは相当恥ずかしい。だってあまり成功しているようには思えないんだもん。(「〜だもん」は山形さんあるある)

案の定、真正面から人を傷つけてしまった。DIG SHIBUYAに以前一緒に登壇されたToshiさんはアカウント名を「口達者な映えテックセレブリティ」に変えてらっしゃった。かの記事では彼のことを名指しで当て擦ってはいないのだけど。ただここ最近、彼のご活動について、年下であることに免じて小生意気にも疑問を呈したことが、ご自身に批判の矢が向けられたように感じられた要因なのかなと思う。いや、正直ちょっとその気はある……。

NFT, DAO, ブロックチェーン文化は本来、信用や価値判断の分散性を重んじるハッカーイデオロギーに根ざしていると思ってた けど自己相対化よりも権威付けのために美術史に接続したり、中央集権的な決済ネットワークや信用制度に依存したクレカを発行したりするのを見ると、ちょっと凹むってか寂しい。
Social goodなことをするなら、それ自体尊いんだからDAO・NFTに託つけなくてもいいと思うし、K-Systemやその背後にある彼の美学観を実装レベルで再解釈するのではなく、緩く「アルゴリズムを用いてモンドリアンのようなグラフィックを生成する」なら川野洋を前面化する必要もないと思うんです …っていう同じ疑問を林さんがtakawoさんに正面切ってぶつけてて、書かんくて良いことなんだけど(オープンであることに免じて許して下さい)、双方とも僕はめちゃくちゃ素敵だなって思ったっす
@_baku89 on X

ただ、そこに対する彼の意見が聞けてないのはちょっとさみしい。決して人身攻撃もしていないし、ここにも書いたように何より彼の活動が「ソーシャルグッド」であることはぼくも皆んなも認めるところだ。ただ、それに対するToshiさんのエアリプが「圧力や枠」への抵抗とか、「小さくて多様」だとか、反駁のしようのない多義的で「正しさ」の香りのつきまとう言葉を用いたレトリックに終始していたのが、個人的に気になった。

いい議題をもらえると嬉しくなります。個人的には「◯◯は本来◯◯だ」みたいに認識してる枠が勿体無いなと感じるし、その圧力をどう超えていけるのかが挑戦だなと思ったりします。文化は外部から与えられるものとして認識するのではなく、自ら生み出すもの。@toshiaki_takase on X

言及ありがとうございます!好きな人に告白する前に振られてしまった感じはありつつ、近いどこかで語り合えるのを楽しみにしています。私にとってのブロックチェーンは、何かへのカウンターや敵視ではなく、ある種の救いでした。これからも小さくて多様な価値が認められるように精進します。 @toshiaki_takase on X

そもそもメタクソ化したSNSで議論も対話もできっこないし、リプ合戦に付き合う義理もないのは大前提。一方、ああいったゆるふわアジテーションをする手間を、ぼくの疑問に正面切って答えることに向けて欲しかった気もする。もちろん、批判にムキになって長文連投をカマすのは、見てくれとしてダルいし、そしてダサい。経営者や表に出る人間としてそれを避けたのは政治的に賢明な判断だったのだろう。だけど、想い入れの深さゆえにシュバったとしても、そういう所も含めてToshiさんの活動をみんなは応援してくれているんだと、ぼくはどこかで彼にフォロワーの知性を信頼していて欲しかったのかもしれない。

そんな個人的で細かい話はいいや。一つ収穫があるとすれば、この書き方はそれなりに筆が乗ることだ。公開するかは置いといて、短い文章をもう少し気楽に書く習慣をちゃんとつけていけたらなって思っている。