Messy Life / Creative Chaos (メモ)
このページは個人的なメモ書きです。何かあればご連絡ください。

大学卒業してしばらく
伊藤ガビン さんの事務所でお世話になってたことがあるんだけど、ガビンさん (恐ろしく机が汚い) が俺の無駄なものが何一つなく完璧に整頓された机を見て「仕事ができねぇ奴の机だ!」って一笑して去っていったの死ぬまで忘れないと思う
https://x.com/kemhok/status/1427604385547177986
- Bricolageをアフォードするための環境としてのmessyさ
- Linus Torvaldsの机
- 斎藤秀夫
- アル・ゴアの机
- Don Normanが出していた例だが、これはまだなんかこう、「映え」ちゃってない?

どの宗派からも薄っすら見下される凡庸な作業環境についてのデジタルタトゥーが一つくらいあっても良かろうと受諾したのですが、結果よしなに記事にして頂きました
橋本麦さんの机、使ってるモノしかのってないので「きれいな机」に分類できる(私はそうではない...)
大西景太
その意味でも、汚机にある種の美意識を見出している宗派からしても振り切れて無さはあるなと思っています、、
baku89.icon- ⇔ マガジンハウス的なるもの
- ポスト経済成長の時代における消費は「物を増やす」ではなく「エントロピーを下げる」方向に律動する
- かつて: 経済成長、豊かさへの憧れ = 3C, 新3Cの時代
- 今: ネゲントロピーとしての消費
- 家具をDIYすると分かるが、ものを作る上で最もコストがかかるのは、ネジ山やフレーム溝のようなグチャッと見える部分をいかに隠して、スッキリさせるかだったりする
- アルミフレーム家具をスッキリさせるために二面溝を使うことのあざとさ
- 溝を隠す = 家具の拡張可能性を閉ざすことで、家具を「完成品」にしてしまう
- 昔: 文化的交流が今より少なく、階級社会だっために、その人にとって調達可能な、その土地のヴァナキュラーな建築や調度品、家具を揃えると、自ずとそこにトーンとしてのまとまりが生まれた
- カントリー調、ロココ調
- 今: 行き当たりばったりに買ってしまうと、様々な様式が混ざり合ってしまう
- 何か自分の中で明確な基準を持たなくてはならない
- “Less is more”
- なにをもってしてlessとするのか
- Don Norman - 複雑さと共に暮らす
- シンプルさとは、客観的に観察可能な「スッキリさ」じゃない。傍からみてどれだけカオティックだろうと、本や書類が置かれた位置がその人にとってはしかるべき場所にあり、頭のなかではその対応関係が明快であれば、それはシンプルといえるんだ
- ツルッとした 100%ホワイトの平面は、実は最も作為的に作られたものであり、ある側面からいえば more である
- 最も低エントロピー、つまり作為でもって自然な乱雑さを排除した状態だから
- エントロピーが極大化した状態、つまりホワイトノイズこそが less かもしれないし、1bitのクリック音こそがlessかもしれない
- その土地で採れる木の自然な木目もまたless
- ヴァナキュラーなもの
- けど一方で、(プロダクト, Web)デザイナーとして尊敬する人ほど、消費者として規範的に振る舞うように思うこともある
- だからこそ消費者の欲望を肌感覚で理解できる
- それを「欲望」とも思わず、純粋に「善い」ことだ信じられる
- e.g. 使えもしないモジュラーシンセとTeenage Enginnering製品を見た目だけで買い込む
- 設計事務所のオフィスリノベ案件、「どうオフィスがスッキリしたか」だけではなく「何を捨てることでスッキリを演出したか」を明示してほしい
- 創業時からあったダサい椅子と机
- 「生活」もそう
- エントロピーとの共生、丁寧な暮らし
- 10年前の己のセンスを呪いながら、一人暮らしとともに雑に買ったニトリの適当ケトルと100均マグを使い続ける豊かさ






