JAGDAっぽさ (メモ)
このページは個人的なメモ書きです。何かあればご連絡ください。
https://www.threads.net/@guccimaze/post/DC5NISISVyy
デザインの中に「JAGDAっぽさ」を出す実験をしてるんだけど何回やってもあんまり分からないのでたぶん向いてない
GUCCIMAZE on X
- 有名なデザイナーが JAGDAっぽさ を当て擦るグラフィックを投稿していたことについて考えている。Corporate Memphisは苦手なのに「JAGDAっぽさ」はとても好きなのは自分でも不思議で、境界条件が何なのか言葉にしたい
- Corporate Memphisないしイラストレーションシステムは、雇用側に都合良く働く。イラストレーションの属人性を下げ、人材流動性を高め、サービスのVIとしての運用性を高める
- JAGDAっぽさは、シミュラークル化した仲條正義かもしれないし服部一成かもしれないが、どこかで「適である」ことからの逸脱というか、グラフィックデザインという行為自体の自己目的化(≒内輪ウケ)にも感じられるところに、なんか豊かさと面白みがあるのかな
- 「JAGDAっぽさ」の範囲も大概広いと思う。少なくともChrometypeよりは
- 原研哉『うすらグラフィック』
「かっこいいデザイン」を市井の人が楽しむには、まずは機能を十分に果たす普通のデザインに満たされてないと、分からない。そういう観点で見ると、「普通のデザイン」がまだ全然足りてないように思う。むしろ、そこを置いてきぼりに、かっこいいが先鋭化しちゃってるとすら言える。 https://x.com/kamone/status/1784213601785708604 石川将也
わたしはいわゆるJAGDAっぽいグラフィックは好きだけど、どうしても内輪ノリになってしまう感じはあって外からみたらよく分からん…と思われてるとは思う。 https://x.com/misako_san_/status/1784524390195245397
あの独特のデザインしているのかしていないのかあえてなのかそうでないのかともすれば分からないデザインを「JAGDAっぽい」と言われるようになったのはいつからなのだろう、そしてあの流行はあと何年くらい続くのだろう
https://x.com/red_dot_mush/status/1703972956635009177B: おそらく、服部一成さんが現役である限りひとつのジャンルとして続くのではないかと...
みなが憧れる偉大なお方…🫶
A: 私にとっては仲條正義氏と井上嗣也氏の仕事すべてが永遠の憧れです。
B: 私は平林奈緒美さんがだいすきです…こころにそれぞれ憧れのデザイナーさんはいますよね…🫶
八木: よく他の分野の友達に「グラフィックデザインとは」と聞かれたときに、自分なりに考えるざっくりとした3軸の分け方があります。もちろん、それぞれのデザイナーは、いくつもの文脈を踏まえた上で実践に及んでおられるのだと思いますが、まず一つの軸が、中島英樹さん、秋山伸さん、田中義久さんなど物質的なものに多様なアプローチを仕掛ける方々、二つ目の軸が工芸的な手法で文字や文様を扱う佐々木俊さん、小林一毅さん、鈴木哲生さんなど、三つ目が工作舎の系譜で、図形的に文化史的な背景を取り込むことに巧みな杉浦康平さん、羽良多平吉さん、戸田ツトムさんというふうに分類できるんじゃないかなと考えています。そのように分けると、どうも自分のグラフィックデザインはいずれの延長線上にもないように感じていて。
グラフィックデザイナー・八木幣二郎 新作個展で考えた「デザイナーの責任」と「未来に対してすべきこと」 / WWD JAPAN
- JAGDAっぽさ
- 東京TDC賞
- 賞について:
- 数日後にはポジショントークになってしまうその前に書いておくと、賞はある種のプロップス経済だと思っている
- Artists' Artist
- すでに世の中で褒められているものに賞を与えても仕方がない、それはただの紅白歌合戦(メ芸黎明期の高畑勲の発言)
- 土居さん: 賞も映画祭もやはり権威である。埋もれてしまうものを掬い上げるのが賞の役割
- 大衆の好みはおおよそ単純接触効果によって形作られる。「ポップ」足りうる本質があるのではなく、その時その時代世の中に多く存在する質感が「ポップ」なものとして受容される
とあるJAGDA年鑑[要出典]
佐藤卓
JAGDAの選考では、個人の個性的な表現が高く評価される。小さな仕事を丁寧に見る選考の姿勢は大切だと思うが、その反面、真っ当に社会で機能している仕事が、評価されにくいという傾向が顕著だ。具体的には、大手銀行などの誰もが知っているシンボルマークなどが、あっさり落とされる。公益社団法人としてのJAGDAが、どんどん小さな器になってきているように思う。このままでいいのだろうか。普通に社会で機能している仕事を、ちゃんと評価する仕組みを、そろそろ具体的に考えないといけないのではないかと、切に思う。


