Baku Hashimoto

デザイン・パニズム

このページは個人的な 覚え書き です。

すべてのものがデザインだ

よく耳にする「誰もがデザイナー」「すべてのものがデザイン」という二つの主張は、デザインについての現在の見解を特徴づけるものだ。この包括的なデザイン観は「デザイン・パニズム(design panism)」(あまねくデザイン、汎デザイン)と呼ぶことができ、そのような背景において、デザイナーは自分の役割や立場を(苦しみつつ)打ち出すこととなる。しかし、デザイン・パニズムは現実を明確に示しているというわけではなく、解釈のための枠組みで大げさとも言える手段であり、その曖昧な拡大については議論すべき課題である。
シルビオ・ルロッソ『デザインにできないこと』What Design Can't Do

IDEO、 d.school、スペキュラティブデザイン界隈はかなりそのルーツに近いと思っている

  • Takram
    • デザインエンジニアリング
    • コンセプトデザイン
    • Verbel Designer
    • ワードデザイナー
    • 「言葉」を中心にユーザーやデザインプロセスにアプローチし、コンセプト開発などを通じてビジネス創造・支援を行うワードデザイナー。

ぼくから見た緒方さんは、久保田晃弘先生とのARTSAT然り、すごくこう、工学者としてかっこいい人。だのに、工学の尊さをエンジニアリングとしてではなく、デザインを迂回して発信されるのはどうしてなんだろう。けどスケッチは激ウマ。明和電機を思い出した

デザイン論について自分は、デザインの本質的な意味は何なのか ではなく、デザインをどう捉えると意味空間を文節する記号としての有用性を最大化できるか としてしか捉えてない(それでいうと自分は圧倒的に「デザイナー」ではない)

それでいうと、「クリエイター」という言葉の胡散臭さが増すにつれ、今度はデザインという言葉のオシャレさを剽窃したいっていうのが本音なんじゃないかって思うことすらある

Design Thinking

別の時からの引用

そう表現してしまえばあらゆる職種がデザイナーと言えるのではと常々思っているので、より上流・根本から共に問う事も出来るが、そのベースはあくまで視覚表象をちちくり回すことにあるという態度表明として、職能の印象を狭めるかのように「グラフィックデザイナー」と名乗る層は個人的にイケてる

一方でオンスクリーン系の人がWebデザイナー(死語)やUI- と名乗るのもややこいので、ただデザイナーとぼかすのも分かる ただ、事業立案、社会関係資本、コンセプトをデザインの対象に含め、そうした出自の無い層がデザイナーをかたるのは、最早何でもありじゃねぇかっていう気にはなる

汎デザイン主義批判への批判?

デザイナーがデザイナーに向けたデザインの話をすることはとても大切(それは当たり前として)。しかし、一方でビジネスにおいても、とても大切な役割を果たすはずのデザインが、デザイナーの為のデザイン「のみ」に(ある意味)矮小化されてしまうことは、とてももったいない。という話に深く頷く新年
水野学

むしろこれこそがトラッドな言説で、そうしてデザイナーがデザイナーとして関与できる幅を広げようとしてきたのが00年以降。それが過剰に行き過ぎて、グラフィックデザインという素地が無いままに、自らの職能を広義の「デザイン的なるもの」と結びつけようとする人が無節操に現れてきたのが、10年代後半以降。っていう見立てをしている。

だから、水野さん、佐藤可士和さん、佐藤卓さん、深澤直人さんみたいな方が、より根っこからデザインという思想を組織に注入するために奔走するなかで「デザイン思考」を語るのと、(言葉はわるいけど)ワナビがデザインなるものに接地したいためにデザイン思考を語るのとでは、まったく違うものがあると思っている

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