Design Pannism (メモ)
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すべてのものがデザインだ
よく耳にする「誰もがデザイナー」「すべてのものがデザイン」という二つの主張は、デザインについての現在の見解を特徴づけるものだ。この包括的なデザイン観は「デザイン・パニズム(design panism)」(あまねくデザイン、汎デザイン)と呼ぶことができ、そのような背景において、デザイナーは自分の役割や立場を(苦しみつつ)打ち出すこととなる。しかし、デザイン・パニズムは現実を明確に示しているというわけではなく、解釈のための枠組みで大げさとも言える手段であり、その曖昧な拡大については議論すべき課題である。
シルビオ・ルロッソ『デザインにできないこと』( What Design Can't Do)
IDEO、 d.school、スペキュラティブデザイン界隈はかなりそのルーツに近いと思っている
- Takram的なるもの
- デザインエンジニアリング
- Verbel Designer
- ワードデザイナー
「言葉」を中心にユーザーやデザインプロセスにアプローチし、コンセプト開発などを通じてビジネス創造・支援を行うワードデザイナー。
デザイン論について自分は、デザインの本質的な意味は何なのか ではなく、デザインをどう捉えると意味空間を文節する記号としての有用性を最大化できるか としてしか捉えてない(それでいうと自分は圧倒的に「デザイナー」ではない)
それでいうと、「クリエイター」という言葉の胡散臭さが増すにつれ、今度はデザインという言葉のオシャレさを剽窃したいっていうのが本音なんじゃないかって思うことすらある
汎デザイン主義批判への批判?
デザイナーがデザイナーに向けたデザインの話をすることはとても大切(それは当たり前として)。しかし、一方でビジネスにおいても、とても大切な役割を果たすはずのデザインが、デザイナーの為のデザイン「のみ」に(ある意味)矮小化されてしまうことは、とてももったいない。という話に深く頷く新年
水野学
むしろこれこそがトラッドな言説で、そうしてデザイナーがデザイナーとして関与できる幅を広げようとしてきたのが00年以降。それが過剰に行き過ぎて、グラフィックデザインという素地が無いままに、自らの職能を広義の「デザイン的なるもの」と結びつけようとする人が無節操に現れてきたのが、10年代後半以降。っていう見立てをしている。



