『考えるに』 (メモ)
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Consider a future device … in which an individual stores all his books, records, and communications, and which is mechanized so that it may be consulted with exceeding speed and flexibility. It is an enlarged intimate supplement to his memory.”
1945年に発表されたエッセイ。WW2終戦と同じ年だ。
Ted Nelsonのハイパーテキストなどにも影響を与えている
ヴァネヴァー・ブッシュの「As We May Think」が掲載された雑誌は2種類存在する。『アトランティック・マンスリー』版と『ライフ』版である。
ヴァネヴァー・ブッシュ「As We May Think」 - かかれもの(改訂版)
日本語翻訳
- Back to the Memex 日本語訳 by yomoyomo
- あれ、本文はどこ..?
- 西垣通版『思想としてのパソコン』
- 山形浩生版
さて、このタイトル「As We May Think」は、通常は「我々が考えるかのごとく」とか「我々が考えるように」と訳されるのが通例。前から、なんか訳としてしっくりこないものも感じていた(だからわざわざ読んで見ようと思ったんだけど)。その一方で、まあ読んだ人もいるんだろうし、この訳され方だとこの論文は人間の思考様式を考えてそれに近づく機械を作るにはどうすればいいか、というのを書いた論文だと思っていた。でも……
実際に読んで見ると、ぜんぜんちがう。情報のもっとよい検索システムを創らないと、情報洪水になっちゃうよ、という話が中心で、メメックスの話とかはごく一部。それも人が考えるかのような機械を、という話では全然ない。だからぼくは従来の「我々が考えるかのごとく」という訳はまちがってるんじゃないかと思う。「こういう考えもあるよ」とか「こう考えて見ましょうか」くらいの感じじゃないの?
ブッシュ『as we may think』 - 山形浩生の「経済のトリセツ」 by 山形 浩生
