150年 (メモ)
このページは個人的なメモ書きです。何かあればご連絡ください。
あまり感想がまとまってないんだけど、高校卒業まで暮らした育ての親の祖父母宅がちょうど同じくらいの古さだったので、むしろ暮らしていた側の気持ちで観ていた
自分自身の生活空間を作品空間にする/されるのは独特の痛気持ちよさがある
考現学的なまなざしって、何かに寄り添っているようでいて、どこかでウエメセなところがある。社会階級的に違ったところから、引いて観察していられる。みたいな
baku89.iconの場合は、自分自身がいた環境にそうした観察を向けることで、自分がそこから抜け出せたような気持ちになれるんだと思う。Flyや、コロナ禍で撮りためたフッテージでMVをつくってるときも、そんなことを思う
もし近い将来ぼくの生家が空き家になったとしたら、彼らみたいな人たちに明け渡して、作品空間としてべらぼうな目にあって、かつてぼくが寝転んでいたカーペットの上を美術関係者やTikTokerが回遊している姿を見て傷つきたい
Podcastを聞いた。LOOM。TaiTanやくるまも出ている。TBS系? 人選的に、近しい人が関わっていそう
お二人の出会い、ノリと勢い、「監督」という肩書、カラオケ話
- 足場屋さん、プロだなぁと思う
- 関係ないけど、家の壁、薄い
- 暖房の性能を良くするよりも、断熱性能を高めることのほうがはるかに良いことが見て取れる
- 副島さんの展示の防火対策だけ気になる
- デザフェスという前例があっただけに、「可燃性の粉体」に関してはインストーラーも作家も気をつけてほしい
- 最初の部屋のランプがVVFと差し込みソケットで垂れ下がっているあたり、そこまで電気工事の安全性への意識は高くない
田中さんに対する告発



