𝕏未満 2025年1-10月 (Scratchpad)
This page is a personal scratchpad.
技法もルックもあまり似てはいないはずの『Depthcope』と『すべてがFになる ED』の間に、共通した態度を感じ取ってくださったということは、すごく抽象的な部分で自分のことを理解してもらえたような感覚があってとても嬉しい。
両作品とももともと知っていたっていう可能性もあるけれど。
瀬尾さん自身が「問い」にどうお答えするか楽しみにしています🍡
あと、自分の場合はミシェル・ゴンドリーは作品がすきだからアイディアも態度もすき。『Ethernal Sunshine …』はゴンドリーの演出以上にたぶん脚本のチャーリー・カウフマン節が刺さっているのだけど
クリエイティブ業に関わる方に、これからなにがしたいんですか? って訊いたときに、「人や仲間がすき」って言われることの興ざめ感っていつもある
自分にとっての仲間やコミュニティは、なにか具体的に作りたい事物に向き合った結果、気づいたら副作用として形成されているものであって、それ自体が目的ではない
人が好きっていうのは前提であって、その上で、ものをつくる立場としてこうして生活をしているのだから、「なにがしたい?」に対しては、具体的につくりたいそれそのものの話をその口から聞きたかったなって思う
岡部健二さん(mount)おすすめのWebサイト・アプリ | ブレーン
普段よく見るサイト/1
映像作家、橋本麦さんのブログです。私が崇拝する作家さんのひとりで、作品自体も好きなのですが、そのとがりまくった思考・言葉が大好きです。
映像だけに閉じることなく、周辺分野の豊富な知見に加えて深く鋭い洞察と独特な表現で、一切の出し惜しみや忖度なく切り進んでいくさまは「制作活劇」とでも呼べるような痛快さがあります。
オンラインで多数のメモ書きやノートを保存・共有できる「Cosense」というツールで構築されており、一風変わった情報構造・導線設計となっています。閲覧者がコメントを書き込むことも可能です。
その理にかないつつも雑多な体裁からして、麦さんの頭の中を直接のぞいている感覚にもなり、どんどんと読み進めてしまいます。
mount inc. の岡崎健二さんに旧Cosenseを観ていただいていたことを知った。コクヨのリニューアルサイトでのワーディングについては、アリムラさんなど友人も関わっていながらも、それなりに critical なことをかいてしまったのでドキドキしている。決して筋違いだとは思わないけれど。
岡崎さんとも是非お話してみたいな
ポジティブな性格かネガティブな性格かというよりも、起こり得ること、僅かながらしか起こり得ないことについて、フレーム問題に適切に対処する知性が備わっているかのほうが表現として適切だと思っている
エクスカーションのことを「エクスカーネーション」と言い間違えていた
人が具体的な問いをもって具体的なことに取り組んでいるさまは美しいって思う something impactful じゃなくて
自分をデザイナーとして自己紹介したことは無いけれど、健康保険の関係でJAGDAに加入していたことはある
言葉の一つひとつが具体的でタイトに選びぬかれているかを吟味する時と、「のどごし」のよさで言葉を繕う時があって、自分も後者のモードで何かを書くことはある(下図参照)それでいうと、MVP分析やUX系のワーディングがどのくらい「のどごし」寄りだったかの見極めに盛大に失敗していた、という反省がある
baku89.iconによる「のどごし言葉」の例
何を母集合とするか次第ですが、さして音楽文化が好きでもないのに音楽SNSを作ろうとしていた起業家集団などと学生時代薄く関わりがあった身としては、Tezzo氏個人の思想はともかく仕事の種類としてはだいぶ「文」寄り
というより、「経済活動(= 武の原理)の一環たるクライアントワークに対して実直に取り組むかどうか」は、文武関係なく、人間としての誠実さ。(忸怩たる思いではあるが)自分の経済活動な不律儀さは、「文の心」で正当化できるものではなく、ただ単にたらしがないだけ……
あるECサービスのCPOの方とお話した
そのサービスは偶然ぼくの父も使っているのだけど、商品にオプション(カラー、サイズ等)を加えられないので、全組み合わせ分個別に商品を作っている。レイアウトの自由度も低いから、Jimboなど別のWeb作成ツールで作った対応表から、商品ページにリンクする形態にしている。
その辺、なんとか自由になりませんかね? 例えばShopifyみたくAPIを解放し、決済部分だけの機能をヘッドレスに提供するオプションも追加する。あるいは、HTML編集機能をもたせるとか。今の敷居の低さとはコンフリクトしないと思うし、より細かい制御をしたい人向けに段階的に細かな機能を提供するとかってそれだけの人員がいたら難しいんでしょうか。みたいな話をした。関係ないけど(久保田 晃弘先生にも教えを乞うていた時期もあるとのことで)「『チューリング完全ユーザー』のことを振ったり。
そうしたら「やりたいことがあっても、お金がないと実現は叶わない。CPOとしてリアリストでなくてはいけない」という趣旨のことをおっしゃられた
それに対して、あなた自身がそのサービスを通してお金があればやりたいことってなんですか。ただ単に「スモールビジネスを支えるプラットフォームになる」とかそういう漠然とたゆるふわパーパスじゃなくて、お金があったら具体的に実現したい機能って、実装レベルでは何が浮かんでいるんですか? ってお伺いしたら、「ちゃんと考えないといけないですね」と
そこで、適当なことを言わずに、そのポッカリさを認めるところに、すごく知的さを感じた。ただ一方で、数百人レベルのIT企業のCスイートでもそういう感じなんだぁって、ちょっとがっかりしたって話
これは別に自分が最近にも過去にも直面したことではないので、どうか誰も心当たりを感じないで欲しいのですが、学生や初学者の方に対して、その人的に「むむっ」となることをされたとき、一般論や社会常識の立場から違和感を表明するのってキショいと思う。「ただ自分が嫌な気持ちをした」って気持ちをそのままに伝えればいいじゃん、って常々思っている。
大学などで教え慣れしている人ほど、自分の意見を客観的な立場から投げ込むクセがあるような気がしていて、ヴッっとなる
「人間じゃなくてはできないこと」に自ずと価値が生まれる、という客観を決め込むスタンスはAIがスケールするまでの延命措置でしかないと思っているので、人間にとって楽しいことをより作為的にフェティシャイズしながら、交換価値を捏造したほうがいい 派
「JAGDAっぽさ」に具体的に含まれる(オリジネーター側の)デザイナーの方って実はそこまで多くなくて、悪口としてすこしスペシフィックすぎないだろうかって、っていつもドギマギしている
ちょっと不遜な態度だけど、映像もグラフィックも、全然やり尽くされていなければ、次々に試したい技法とか気になるものが見つかる 最近は状態遷移図、偏光、埋め込み空間(Word2Vecのような類似度による分類)、non-uniform scaling、ファーボール、玉碍子に稚魚が熱い
Kinectというか深度マップをつかった表現で、まだ一つやっていないものもある
グラントを渡り歩いているようでいて、自分もちゃんと助成に落とされてもいるけど、自分が知る限りそういう制度だとか業界団体に携わる方々は、文化支援に対する矜持を強く持っている方ばかりだなって思う
NeWNeWのフィードバックがすごく良かったから、どこかに乗せたいな 直視したくないくらいちゃんと手厳しいことを書いて頂いている
絵や映像は、滑らかな階調と多次元的な広がりをもったメディアによって「印象空間」上のある一点を直接指し示すのに対して、詩は有限個のトークンがもつ意味ベクトルをうまく足し合わせることで、一点を指し示す芸術っていう理解を最近はしている
私たちデジタル技術創作物のつくり手は、いまのところ、そういう儚さと付き合っていかなくてはならないのです。大変なんですよ。誰でもいつでも鑑賞できる作品みたいのがないから、常に、実績が風化して、何をやってきた人なのかよくわからない人として人前に出なくてはならなくなりますから。アーカイブどころか、何かやり続けて存在をドヤらないと自分の存在すら忘れられてしまいます。
「state」を始めて半年経ちました|qanta
- 「常に、実績が風化」するのは、表現とテクノロジーの常だけど必然じゃないし、よさが長く続く作り方もあるけどなぁって思う。儚さと付き合っていかなくてはならないというよりも、単にそういう態度で制作をしているから(作品としての動作可能性とは別の次元で)表現としても細く短いものになってしまうっていうだけ
- 羅絲佳さんや角田創さんのような方がぼくが理想とする Art (Design) & Tech 的な態度
- TDA/BASSDRUM界隈は招聘してお話を伺っていい気がする
- テックで儚くも大きな花火を打ち上げるのも悪くないけど、長く効く実績がいくつかあったてそうじゃないし、制作そのものと向き合えば当たり前にそういう作品はできる プロダクションの営業としても経済的だし、その上 fear of missing outも薄れて日々の仕事をより楽しめる ここで言いたいのは“時代を超えて残るから偉い”みたいな価値観じゃなくて、単に持続性のある成果が精神的にも実利的にもいいって話
- 世の中映像やグラフィックそのものの話がまだまだ足りてない
- 中途半端に抽象度を上げすぎだし、可能性空間を(主に言葉や、業界の慣習的なワークフロー、特定のツールに内在する)過剰にコンパクトな潜在空間に畳み込みすぎ
- そして、そこで自ら手放した組み合わせ爆発の豊かさを、ガジェットやインテリアという記号消費によって昇華しがち
29 Ways To Stay Creative とかオズボーンのチェックリスト的なもの、発想術の原則としてあまりおもしろい抽象化はできていないと思っていて、初歩的な線形代数や集合論、群論をイメージとしてお腹に落としておくほうが(自分に限っては)はるかに有用だった
『いかにして問題をとくか』やUnix思想は、問題のフレーミングだったり、ロバストな設計やツールの豊かな組み合わせ爆発を引き起こすための原則として、とても楽しい抽象化に成功した例だと思う
abelestさんとDiscordで雑談した
- 福岡、映像とスタートアップ文化
- JIS X 40XX
- 小劇場
- 大ネットレーベル祭、マルチネは今年で20周年
- toiret status, 山口と福岡, Orange Milk, Red Bull Music Academy
- ネットレーベル的な存在はプラットフォームのいちコンテンツになり、その代わりに台頭してきたのが microgenre や Internet Aesthetics
- GorgeやPoemcoreのような自演的なジャンル
栗田さん、CBCNETやIDPWのご活動について、まずはシンプルに(編集者的な方として)尊敬しているのだが、要所要所で自分の人生に登場して、御本人も覚えてらっしゃらないようなドキッとするような言葉を自分に投げかけて去っていく謎のお兄さんという印象も一方で持っている
業界でも無名だった10代の頃hydekickさんに誘われて出たPodcastの収録後に、クリス・カニンガムを知らなかったことを「山本太陽君はそういうのちゃんと追っているよ」と言われたり(今は「有名」とは言わないが、microcelebrityだとは思っている)、パーゴルさんのVJをした後にぼそっと「Michael Paul Youngっぽいね」って伝えられたり
一昨日、夜にベロンベロンに酔っ払いながら電話が掛かってきたときはびっくりした(嬉しかった)
「発狂」っていう言葉を安直に使いたくないけど、いろんなオブセッションに駆られて気持ちのバランスを崩しはじめる方はやっぱり周りに居て、そんなときに、その人と波長が合うかどうかとはべつに、どこか「社会学的に興味深い対象」として近づいてしまう癖がある。もちろん尊敬の念がまずあるんだけど。自分にとって同級生のT、Iさん、SさんやQさんはそういう存在で、けどそれはちゃんと本人にバレていたんだなって今になって思う。残念な結末ではあるけれど、一周り、二周りも下の自分にちゃんとムキに向き合ってくれて、刃とともに自分に投げられた言葉ってのは、ものすごく質の高いディスとして大事にしている
母語話者ほど流暢に話せなくとも、その文脈において、耳を傾けてもらえるに足るだけ相手にとって自分は興味深い存在かも含めて語学力なのかもと思っている 店員さんにとっての自分はそうじゃない
デザイナーを名乗ったことは(迂闊な10代を除いて)無いはずなのだけど、グラフィックデザインはしゃんと勉強したいし、上手になりたい
CCライセンスやBerlin Code of Conductのように、制作者と発注主(制作会社、代理店等)との間の受発注における、決まり事のボイラープレートみたいなものがあってもいいのかもしれない 契約、NDAに関してはケースバイケースなので難しいが
- 全体予算とマージンを知る権利
- これは実際個人事業主だと、会社経営についてのある程度の前提知識が無いと、これだけでこんだけ取るのかよっていう不平不満には結びつきやすいなと思う
最近一瞬モヤるのが、baku89.iconに来たがキャパ的に請けられない仕事を、それでも自分を経由して(自分がディレクターとして入るなりして)発注すべきなのか否か
- 実際そうしたノウハウはある 手を動かすか、マージンを取るかはさておき、自分を通過する案件を増やすこと自体が安定に繋がる
- 社会信用をお金に変える
- けど個人的には、実際に手を動かす人ができる限り直接仕事を請けるべきだと思っている
- 今のところは、(明示的に利かれない限り)「自分からの紹介」すらせずに、請けられないものはただ断っている ひとまずbaku89.iconに相談すればいい という信用を意図的に積み上げない
- 仕事をトラブルなく回していく上での結晶性知識の価値はちょっと過大評価されすぎだとも思う 大事ではあるが
代理店/デザインファーム的な言語感覚や社員アー写文化を文芸/カルチャー側(?)の作り手が冷ややかに見る一方で、前者に誠実に活路を見出している方には「Artists’ artist」的なノリがどう映っているのかを腹を割ってお聞きすると面白い(その上で自分は後者に共鳴する) みたいな話をしていた
最近聞いたWeb系のPodcastで(思い出したら追記)、CBCNET主催のイベントがおしゃれ過ぎてそっと帰ったっていう話を聞いたのだけど、そこはリアルタイムで通ってない身として知らない感覚だなぁって思った ニューメディア表現ををカルチャー的 (?) に扱うスタンスは当たり前じゃなかったというか
Liquid GlassやDynamic Islandは、操作上の合理性というよりも、新製品の記号としての意味合いが大きいと個人的に捉えてる(けど作り込みがすごくて流石) アイコンカラーを単色にする機能こそ、UIをless attractive (addictive) にするという点ですばらしいなって思う
恐らくそこまで掘り下げる時間もなかったのだと推察するのだけど、菅さんのそういう視点での語りもいつかお聞きしてみたいな 情報の構造やinteractivityの可視化以上に付与されたUIの心地良さは、記号消費やlimbic capitalismとほんのりと共犯関係にもある、みたいな視点
AI的なものに対して、デザイナーやクリエイターほどtechno-optimisticな態度をしてみせるの、問題の分離が出来ていないと思う 使いこなすことや創造性という聖域を前向きに手放すことと、その裏側で何がスクレイピングされ、誰にレントを支払うことになるのかという構造に自覚的であることは普通に両立すると思う
雑な議論だと、頑健なテクノフォビアか時代に適応できるかというスタンスの話に大概にして単純化されている
自分はテクノフィリアで、造詣も習熟度もそれなりに深いと自認しているのだけど、同時にハッカーたちが技術にリベラルな態度を貫いたことが今日のデジタル環境をいかにマシにしたかに常々感謝もしていて、だからこそ「恩恵にあやかりつつもムカつく部分には適切にムカつき続ける」ことは大事
AI絵師バックラッシュだって、結果的に「AI絵」という記号の品位を下げることには寄与したという点で、職能の自己保存として多少なりとも意義があったと思うし
Cultural warを腐すつもりは全くなくて(超大事)、ただその種のリベラルさを、産業としての広告/クリエイティブ業に従事する自分の実存を揺るがす領域にも平等に向けたらどうなるんだろうと時たま思う ツールのこと、消費文化への加担、あるいはSpotify支社訪問してはしゃぐアーティスト何なん? とか
鉄塔さん、Takumaさんと話していた中で、面白いなと思った話題「自分自身に優生思想を適用していいのか」。
自分を構成する個々のミームは、自己複製子プールに(潜性的に)拡散されるに足るだけの面白みがあると思うけど、自分というジーンやミームの「デッキ」は、遺伝的近縁度1/2の個体として再生産するに足るだけの価値はさほどない(少なくとも、制作やpublicationsを通した拡散や、愛するパートナーが単為生殖する可能性に比べると)。とかいう、かなり危うくてナイーブな反出生主義的な話を、ちょっと不愉快な思考実験として皆で話してみていた。
オタクの自虐、あるいはダーウィン賞だとかであるように、自分の遺伝子(遺伝子淘汰の観点でいえば「遺伝子の集合」)が次世代に残らないことが自分が人間社会にできる一つの寄与、みたいなレトリックがあったりするけれど、それは他者に向けられない限り許されることなのか(自卑的に向けたはずのそうした視点は容易に反転するのだが)、それとも、カトリックにおける自殺のように、倫理的に禁じられるべきものなのか。ぼくは、内心の自由はともかく、たとえ自分に向けてであっても「公的」な場でそうした考えでもって生物学的自己複製をしない理由を述べるのは、文化的にタブー視されるほうがいいと思っている立場。
「柔道部性」みたいなものをアンラーニングするのにかなり時間がかかっている
優秀さは本来多元的に定義できるのに、現にその場を占めている人たちが基準を決めるから、その人達に似た特性が優秀とされやすい その硬直を崩す役割としてはアファーマティブ・アクション的なものは有用っていう理解を自分はしている
- 日本に生きる限り、どちらかというとAA的なもので機会が減る(それだけ普段下駄を履かしてもらっている)側の人間なので、ポジショントークにはなっていないことを願う
- とどのつまり「優秀さがどれだけ社会構築的なものなのか」いかんだと思うんだけど、STEMと人文、経営で景色は違って見えるんだろうなと思う
- ただ、専門家としての優秀さはともかく、うまく自分をプレゼンスしながら、そういう社会やコミュニティの中で渡り歩いていくかは、想像以上に社会構築的なものだっていうオフセットは常にかけていかなといけない
多様性、多元性、多峰性みたいなものを、倫理とか善に基づく共感に加えて、なにか数理的な合理性としても理解したい気持ちがある それはグロテスクな量的功利主義とも紙一重なんだけど、むしろフォーカスは「その分散が合理的たりうる社会の諸条件を維持する」ことに注がれる
- 『それを人々が善的だと捉えている』という状態もその条件にフィードバックするのも事実だけど
- 『三体』でも、ある種の全体主義が合理的とされる社会が描かれる。つまり、他の星系に移動するために宇宙船という閉鎖系に閉じ込められた、たかだか2千人からなる社会。そこでは、人口調整のために結婚や再生産の自由も無いし、カニバリズムすら行われる。Liu Xiginって、中国の作家ながら、そういう形で「全体主義が効果的たり得る社会」をかなりディストピアンに描くことで、暗喩的にそういうアレの批判を成し遂げている感覚がある
畑が違う、と言われればそれまでなんだけど、過剰なことは言わず具体に根ざす言葉が尊ばれる学術や手仕事の世界と、曖昧だったり十分条件たりえなくても、期待感を丁寧に紡いで投機的に価値を先取りする(主にビジネスの)世界の言語感覚を反復横とびするのは、体が慣れない
で、後者の言葉づかいの合理性自体は理解していて、あとは「みんなどういう気持ちで向き合ってるんだろう」っていうそこだけが気になってる。放っておくにも、気心の知れた制作仲間とずっと内輪を続けるか、ニューメディア表現を全部手放してアニメーション作家仙人になるかのどっちかしかない
アニメーション作家でxRも作られる方との面談で伺った話が面白いのでメモ:
インタラクティブな作品は短命だけど、舞台芸術みたいなものだと思っている。記録動画は残るかもしれないけど、はなから公演期間きりのもので。ただ違う箱、違うキャストでの「再演」ってのもあり得るのかもしれないね
ポン出し出来ても良いんじゃないか
早かれ遅かれポン出しできるようになる
その上で、石橋さんにその片鱗が感じられるように「生身の人が作ったもの/こと」へのオブセッションというか、フェティシズムを持った人々がいる限り、「それが人によって作られた」という事実は自己成就的に価値を持ち続ける
あとは、baku89.iconにとっては、「自分自身がこれをつくる」という体験はAIに代替され得ない
忙しさ
制作の質的な何かを少なからず犠牲にしている以上、喜ばしいというよりも、まずは忸怩たる思いで受け入れるものであるって感覚が先にくる
Open hardware dream collapses as Prusa slams China’s subsidies, patents, and aggressive tactics that reshaped 3D printing from an open playground into a corporate battlefield | TechRadar
厳密なオープンソースかどうかはさておき、「規格や実装が公開されちゃってる状態」っていうのは、ある種の均衡点だと思っていた (今からプロプライエタリなMPEG的フォーマットが流行るか、Apacheモドキが流行るかっていうと、特定産業のニッチを除いてあまりない)
「Star Guitarの呪い」 by 岡田 育さん
- 岡田育さんの『Star Guitarの呪い』という言葉に笑った 今でこそ音ハメMVの代名詞みたいに言われるけど、初見でぼーっと観てるだけだと気づかないくらいで、見る側が合わせに行かないと気持ちよくなれない 『Gantz Graf』がジェネMVの代表格扱いされるのと似たすれ違い
- ミシェル・ゴンドリー性はもちろん好きでもあるんだけど(『グッバイ、サマー』も良かった)、長編としてはチャーリー・カウフマン性にむしろ惹かれてしまう マルコヴィッチ自身がマルコヴィッチの穴に入る描写は、クワインやLispを感じた
- 何μゴンドリー、あるいは何μ辻川(単位)を自分の制作の充足感として達成できるかは毎日考えてる
- ゴンドリー性、トニー・ヒル性、辻川性(敬称略)みたいなものに、良くも悪くも愚直な感覚は今でもある
- トンチの本質って、クレバーさよりも「かわいげ」にあると思っていて、それに比べると「よさ」ってかなり文脈依存的だと思っている
- みんながゴンドリー性を追い求めなくなったのって、「やり尽くされた」っていう諦念があるんだろうな。映像っていう一世紀続くメディアよりも、xRやニューメディアのほうが、まだ方法論がサチってない
- けど、まだまだあるでしょってのがbaku89.iconの本音。例えば縦横不均等にズームし続けるPowers of Tenは実はまだない
- むしろちゃんとStar Guitarに呪われ続けていることは、経済的には悪手だけど、とても幸運なことのような気がする 得てしてそういう原体験を忘れて、より狭いドメインでの政治に力んでしまうから
- Web要員として参加している出版系のプロジェクトで、版元のどっしりとした編集者と話すと、「けどすぐ見れなくなるんでしょ?」って刺されたりする “publish” という言葉の重みの差に、オンスクリーン表現に携わる端くれとして、「紙」という存在には呪われて続けていきたい
自分にあえて悪意を向けるなら、こってりと(文化)左翼で、ある種のリベラルさを制作の技術哲学的なものにも持ち込んで自縄自縛になっている自覚はあるのだけど、その中で「地元」的なるものと精神的にどう向き合うかは、これからも漠然と悩み続けるんだろうなと思う 「目覚めた」のは自分側なわけだし
Live codingというよりVJ全般の話だけど’
その場で書かれ、計算、描画されることのアウラをあまり信じちゃいないけど
ーフレームエディタやピアノロールをぽちぽちするよりも、熟練されたリアルタイム入力には味わいのあるヨレが生まれがち あとは自分自身の体験として、パフォーマンスのドキドキ感を自己目的的に味わいたい
ガワのリッチさを残しつつ、楽器的に楽しめる程度にパラメーターの決定を現場までに遅延させておく
コーダーとして思うのは、「映えるサイトはコモディティ化した」というのは、FWA / Awwwards / Chrome Experiments 的な文脈からしたら確かにそうなのかも ポップスかポスト・クラシカルがほとんどなので スカムやノイズがもっとあっても良い
スカムとは思わないけど、HAUS, UNIBA, Yehwan Song, 萩原俊矢さんあたりのお仕事は
豊かさがあるとbaku89.iconは思う
いつかCosenseの開発チームの方々とお話してみたい
どれだけ愛があるかをお伝えしたいし、 (Headless) CMSとしての可能性、Local-first設計の導入、あとScrapbox記法以外のHTMLにトランスコンパイルされる(Markdown含む)言語のサポート、とかそういう話ができたらいいな
- 中2の頃に「デスクトップの空論」とかふざけたタイトルで書いていたlivedoorブログはとうの間に消えたが(消えてよかった)、自動挿入される広告をCSSで消しながら無料レンタルサーバーでホストしていたWordpress製サイトからのデータは今でも残っている
- セルフホスティングはいい
- 大橋さんや石川さんに関して僕がリスペクトしているのは、自分の仕事がちゃんと大好きなところ 年長者として聞きの姿勢に回るだけじゃなくて、現在進行系の興味や習作を体重を乗せて語ってくれるのが、かくありたいなと思う (ある種の面倒くささにも未だに親近感が湧くし)
- やっぱりあのXでのダル絡みは面倒くさいと思っている(は? という気持ちも含めて快楽性はあるけど) そして偉い方にやや挑発的な自分に対してはちょうどバランスが取れているものの、自分自身はもう少しまろやかに傾聴の姿勢をとるべきだとも思う
- Xではウェブ美術手帖の彼の人の発言を発端とした、文化(資本)の話が人気だけど、創造性支援技術もまた、開発者やプラットフォーマーの持っている文化観の深さが、ツールとしての豊かさのボトルネックなると思っている。あるいはいい意味でのガバさが、開発者の想像を超えた誤用や転用をアフォードするか。産総研やゲーム開発者の友人とルネ・ラルーを観に行ったのよかった
最近、同業の人と喋る機会がめっきり少なくなってしまった。もともと少なかったけど、以前にも増して。
https://x.com/_unshift/status/1952900167591694586
- 同業でいうと、ウェブやデジタル系に関して、近しい言語感覚を持っている方がそもそも周りに居なくて困っている デザインファーム系の語り口と、メディアアート/ネットアート系の美学や問題意識を迂回している層との分断というか……
- 居ないは言い過ぎ
- けど制作観が不連続に変わる界面みたいなのは肌感としてある
- http://normalize.fm 公開収録のときにも感じた
- 午前・午後の部と、夜の部とで、場のノリがサッと移ろっていく感じというか(p5aholicさんは前者寄りの汽水域にいらっしゃる感覚がある)
- Yehwan SongやJODIの話があの場で通じていたのってどのくらいなんだろう
- 生業がCMS受注だろうとキャンペーンサイトアプリ開発だろうと、ICCやCBCNET的なるものがそれとなくハブとして機能していた時代があったような気がする
- HTML Day 2025 Tokyoの取材にいらっしゃるのがWD誌ではなくGraphic Design Review米山さんっていうのも象徴的
- WWWを取り巻く思索的な側面(「リアルインターネットおじさん」のようなジョーク含め)をウォッチしているかどうかで、わりとノリが分離しているのが寂しい
- 単純にそういう「脇道」に意識を向けられるほどヒマじゃなくなったっていうのが一番の要因な気がする
- 高校野球を腐すまでもなく、自分自身、反動形成的に入った柔道部で育んだトキシックさを、十数年かけて解毒しようとしている真っ只中だったりもする 身体面ではいいこともあったけれど、虐めも虐められにも加担した
- 「バズ狙いでしょ」とか、心の中を勝手に決めつけるのは質の低い見下しだとつねづね思ってるんだけど、唯一それができるのは自分自身だけなわけで、そういう点で自分ほど見下し甲斐のある存在はない
- 昨晩___さん、___さんとお話したことについて色々考え込んでいた。CHIで来日されていたJingyi Liさんともお話してみたかったな
- misuseとqueer useの違い、「queer useのための道具鍛冶」は矛盾しているようで、そうした逸脱をアフォードするツール開発は可能だって話。ちょっと自分の興味に寄せすぎだけど。
- SFPC以来の寮生活? 的なもので、10代の頃の自分の身なり、身体への自意識を久々に思い出した(執拗にシーブリーズをしまくる的な)
- 独立系アニメーションとHCIは(完全に内側に入り込んでないのか)有意にフェイクが少ないように見受けられるのが僕は好き、スターを持ち上げるとかそういう文化も無いし、みんなその人の活躍っぷりじゃなくて、その人の成果物そのものをちゃんと見ている
- demosceneの人が独立系アニメーション、『グリッチアート試論』やRosa Menkmanに、モーショングラフィックスの人がマシン・ラブ展に行く、みたいな誤配は積極的に引き起こして行きたいのだけど(TOCHIKAさんの偉大さを知る)、その誤配によるリアクションを当のハイアートを自認している側がナイーブなものとして切り捨てることも往々にして起きていて、なんだかなーとおもう
- 今更だけど、AI絵師サービスに、もしサザエbot的な「わざとさ」があれば、距離は置きつつもリスペクト出来たんじゃないかって思う 蓋を開けてみれば存外天然でやっていたところが寧ろさみしい
- 「宣言的な記述フォーマットは、アドホックにプログラミング言語的機能を取り込もうとする」という自分なりの説がある CSSのcalc()やvariables、AWS CloudFormationやHoudiniのJSONを用いた設定ファイルとか (思ったより浮かぶ例が少なかった
- 平川さんのAI関連の投稿や発言に関して思うこと
- 技術によってどう暮らしぶりや働き方が変わるか、という未来予想は、技術そのものに疎くてもニュースを追っていれば誰にでもできる
- (あくまで技術への造詣に限った話で)平川さんや深津さんレベルのオンチでもできるのだから
- 世の中の変化を、何か不可抗力な流れのように語るのは違う 結局は人の思惑によって、人為的に引き起こされるもの
- 士業の自己保存
- DX化してもなお、それを上回る速度で法制度は複雑化するので、士業が必要とされ続ける
- インボイス、軽減税率
- DX化してもなお、それを上回る速度で法制度は複雑化するので、士業が必要とされ続ける
- 士業の自己保存
- 「どうなるか」じゃなくて、「どうしたいか」を語れよ、的な
- ソフトウェアエンジニアの世界がそうだった
- 利潤追求の観点でいえば、ソフトウェアは知財であって、クローズドにして当たり前
- けど、全プレイヤーがそうしていたら、ショボいナッシュ均衡に陥っていた
- 「資本主義な世の中だとそうなるのは抗えないよね」という稚拙な諦念に対して、ソフトウェア、ないし人類にとってのコモンズはどうあるべきか、という信念を携えたハッカーたちが、今日的な開かれたソフトウェア開発の礎を築いた
- ハロウィーン文章に対して、ハッカー達が「まぁ、私企業だもの」っていう風に割り切っていたらどうだっただろうか
- CopilotがGitHubのソースをクロールしてるというニュースのにすら、(それによってホスティングサービスとしてのGitHubがマネタイズできる可能性がある、という可能性を脇において)ちゃんと開発者達は憤っていた
- 会社には会社の理屈があるように、ユーザーにはユーザーの理屈がある ユーザーとしてどうあってほしいか、というのは、会社の都合を弁えなくても声を上げたって良い
- そうした声の存在そのものが、経営の合理性などとは関係なく、会社の評判に作用する。会社の方針を変える動機づけになる
- 実際、デザイナーたちが生きているソフトウェア世界の閉鎖性は(Adobe, Figma等)は、もしハッカー達が、そうした経済原理に対して無抵抗だったら、という歴史のIFを辿っているとも言える
- 「この投票の結果はどのくらいになるか」という客観的な視線と、その上で自分は何に投票するか、という行動は両立する
- 自分は何を選ぶかという離散的な決断の集積が、人力モンテカルロ法よろしく全体最適を導く
- 自分の意見やお気持ちを表明せずに、その多数決の重心を言い当てることに執心するのは、結果的にその多数決の質自体を下げる
- 低いレベルで「メタ」であろうとする人ほど、自分を観察者だと思いたがる
- 自分もまた世界の一部であり、むしろ自分のお気持ちや決断こそが、世界を形作っていくという視点の欠如
- 自分は何を選ぶかという離散的な決断の集積が、人力モンテカルロ法よろしく全体最適を導く
- ソフトウェアエンジニアの世界がそうだった
- AIに対する議論の多くは、ミームとしての技術が(世界中の才能の認知リソースに寄生しながら)どう自己複雑化するか、という技術中心の話と、その技術がどう法整備され、誰に寡占され、どう社会実装されるか、という人間社会サイドの話とを混ぜこぜにしている
- 技術によってどう暮らしぶりや働き方が変わるか、という未来予想は、技術そのものに疎くてもニュースを追っていれば誰にでもできる