橋本 Hashimoto   Baku

橋本 Hashimoto   Baku

Generalizabilityの幻想 (Scratchpad)

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Myth of Generalizability

あと、私の研究でよくある批判が、応用領域がニッチである、というものです。例えば CHI 2023 で発表したリリックアプリに関しても、そうした批判がありました。「歌詞が魅力的にアニメーションするインタラクティブなビジュアルアート」という新たなメディア様式を提案しているのだから、ニッチで当たり前じゃないですか。世の中にまだないから、初音ミク「マジカルミライ」のプログラミング・コンテストを通してその可能性を検証しているわけです。毎年素晴らしいリリックアプリの作品が出続けています。これ以上何を求めているんでしょうか。こうした査読をもらうと、まず査読者への怒りが湧き、コミュニティへの失望と悲しみに変わります。数日寝かせた後、コンテストの模様などを思い浮かべながら、地道に反駁していく勇気をもらうのです。リリックアプリの場合にどういった反論をしたかについては、ほぼ論文内部に記録されている(7 章)ので、ぜひ参考にしてみてください。
私はこれらの問題をまとめて「
Generalizability(一般化可能性)の幻想
」とか呪縛というふうに呼んでいます。Jennifer は「ニッチ(niche)とドメイン固有(domain-specific)は違う」と表現していたと思います。 セミナー初回で講演してくれた Jonas(
Jonas Frich )の論文では、ラボスタディで終始するタイプの創造性支援研究の限界が指摘されています。ツール設計者も実験協力者も
WEIRD な文脈に置かれた大学院生である場合に、それが極めて「ニッチ」なコンテキストであるという限界がまったく意識されていない、という問題があるのです。 つまり、研究上の知見においてはその generalizability が重要だという批判は、もし上記のようなケースに向けるのであれば、同様に多数の典型的な HCI 研究に対しても向けられなければならないでしょう。
加藤 淳 - HCI research in the wild, why not?

  • まぁ、出典はありません。勝手に言っているだけです by 本人
  • Jennifer Jacobsの発言、ネタを知りたい
    • 「いや、それはニッチじゃない、ドメイン固有(domain-specific)なだけ」とは Jennifer Jacobs の至言(AIST Creative HCI Seminar, 2023) ですが、本稿はプロ向けGUIの話というだけでなく、genericな顔してるデザインが実はnovice向けというyet anotherドメイン固有に過ぎないことも示唆しています。加藤淳 on X


自分が思う「よさ」の源として、二種類の一般性(generalizability, generality)について議論しました。Human-Computer Interaction研究はしばしば、場当たり的でgeneralizability(一般化可能性)が欠けているとして批判されます。本講演はそれへのアンサーでもあります。

コンピュータが変幻自在の機械であることは必ずしもその自在性が無謬であることを意味しないはずなのですが、にもかかわらず、それが何とな~く神聖視されてきた面があると感じています。さまざまな事柄を抽象化しgenericな技術をつくって汎用性の高い知見を見出すことが貴ばれすぎていやしませんか?

ここで、もう一種類の一般性、generalityは仮に学問的普遍性と訳しています。半分、昨年度の研究パートナーMichel Beaudouin-Lafonの受け売りですが、コンピュータ科学は、現象を理論立てて理解可能にする研究をもっと重視したほうがいいように感じています。
コンピュータ科学において学問的普遍性が軽視されてきたことの一つの表れがWEIRD(研究の西洋バイアス)問題です。
ボーカロイド音楽みたいに、コンピュータ科学の範疇ではマイノリティの文化や、ドメイン固有のインタラクション設計を扱うような研究は、generalizabilityこそ低いかもしれませんが、前提条件を明確にしている点でgeneralityにはしっかり貢献しています。WEIRDnessは暗黙の前提を語らないからこそ問題なのです。

日本ソフトウェア科学会 第42回大会で「現場に根差したツール研究 プログラミング、IoT、音楽動画からアニメまで」と題して基調講演しました。


時たま加藤さんとの議論で勝手にこんがらがっているんですが、創造性支援ツール開発の文脈では、これまで「汎用的であること(= general-purpose)」が重視されるあまり、「ニッチだけど、そこに一般化可能な( = gneralizable )知見が潜む領域」が軽視されてきた、という問題意識があったと理解しています。

ただ、ぼくの理解では加藤さんは generalizability そのものを否定しているわけではなくて、必ずしも研究で提案される artifacts 自体が general-purpose である必要はない、むしろ、domain-specific なツールからこそ generalizable knowledge が得られる、という点が重要ですよね。

そして、「初心者のための Easy and Fast なシステム」とか、これまで general と見なされてきた設計自体が、yet another domain-specific な存在でしかなかった、みたいな相対化を促すのが、Griffith や Tweeq に通底する問題提起なのかなと思いました。

つまり、generalizability vs. domain-specificity の対立のなかで前者をある種の myth とみなすという話よりかは、generalizable knowledge を引き出すための装置として、general-purpose だけでなく domain-specific な領域(もっといえば「現場」)にももっと目を向けようじゃないか〜 という方向なのかな、っていう理解であってますか……?

そう!です!


  • 世の中、ジェネラルであることが尊ばれすぎ
  • みんなが「器」になりたいし、「プラットフォーム」になりたい
  • どれだけdomain-specificであっても、その細かすぎて伝わらなさやナードさに、半笑いと敬愛を込めてappreciateできる文化はもっとあってもいい
    • よその業界のジャーゴン混じりの会話や、オタクのシュバに色気を感じる 自分の前では「やさしく噛み砕く」とか大丈夫なので、ブレーキをかけずに内輪な喋りをして頂けたらアガる
    • 今日聞いて耳福だったジャーゴンは「方立」と「CH(ceiling height)」
  • 社会・人文・文化的な領域において、その一般化が一見エレガントに見えるものほど、様々な差異を切り捨てて現実を単純なスプラインに曲線当てはめしている
  • 柳沢監督のことをbaku89.iconは(practical撮影という点で)「日本のスパイク・ジョーンズ」としてこれだけ敬愛しているのに、どうして彼の広告表現に埋め込まれた「一般性」「普遍性」にノレないのか むしろ嫌悪感すら感じるのか
    • 日本人のそれぞれの頭の中にある「みずみずしさ」「若々しさ」の積集合に訴えかけるような感じ。わかるんだけど、すごくのっぺらぼうな感じがする。エイジズム、ルッキズムへのゆるやかな加担
      • それはbaku89.iconが(幸福に育ててもらった)ステップファミリー育ちだからってのもある。東京ガスの感動CMも、グロテスクだなって思っていた
    • ぼくが『ムーンライト』に感動したのは、 そこで描かれる具体性。自分の属性から国も人種も宗教も性的指向もかけはなれていても、むしろその具体性こそが作り手の体重にも感じられる たとえ万人にとってgeneralなシチュエーションでなくとも、遠い東アジアの島国の誰かにとってはちゃんとgeneralizableな物語だったんだ みたいなことを思う