木喬本 麦∿Baku Hashimoto

態度のちゃんぽん

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昨晩、さのかずやさんにお誘い頂いて、メディアアーティストの平川紀道さんとトークライブに登壇させて頂いた。

https://twitter.com/sanokazuya0306/status/1354625858753814528?s=20

今まで制作環境や仕事論の話をするのを意識的に避けていた。それはなんというか「作品以上に生き方がクリエイティブな人」になってしまったらダセぇなという気持ちもあったりする。それに、純粋に私生活上の都合で地方移住したことに高木正勝的な心境の変化を見いだされたり、「まだ消耗しているんですか?」という妙なステートメントになると気が引けるというのも大きい。そもそもコロナが無かったら今月で東京に戻る予定だったし。

モデレーターのさのかずやさんは5, 6年前から認知しあっていて、尊敬する同世代の一人だ。一方で、これは昨日のClubhouseでも話したのだけど、ある時期まで彼のことを苦手な「企み屋さん」タイプの方だと思ってしまっていて、フォローとリムーブを繰り返していた。意識高いマンとしての同族嫌悪もあったかもしれない。ただ、彼が学生時代から書いていたブログやそれをまとめた書籍を読んでいるうちに、彼の出自に対してアクチュアルな活動をされているということが理解出来てきて自然と近況を追いかけるようになった。地元への愛憎入り混じった感情を抱えた道産子として共感を覚えるというのもある。だから、あまり僕向きではない今回のイベントへの登壇を承諾したのも、今まで冷笑的に見てごめんなさいの気持ちと、納期も守れない駄目人間なりに少しでも彼の活動を手伝えたらという思いが背後にあった。

トークライブ自体は、オンライン開催の常としてこれといった手応え無しに終わった。なるたけ誰も傷つけないように力んだ結果、自卑的なことばかり言ってた気する。その反動か、その後にClubhouse座談会でくっちゃべった時にやたらディスりがちになってしまって、その後布団で反省して痙攣してた。

イベントでもClubhouseでも上手く言えなかったのだけど、制作仲間としてのコミュニティと、存在を薄々感じ合うコミュニティは分けて考えたほうが良いのかもしれないと思った。前者に関していうと、僕はとことんクローズドであって欲しい立場だ。それは同僚のオオクボリュウがチーム作りの秘訣は「余計な人を入れない」といっていたように、本当に感覚の合う人と少数で作る方が純度の高いものができると、経験則として実感しているからだったりする。制作メンバーのやみくもな多様性は、雑多なカラーが足されることで作品のトーンを凡庸な灰色に収斂させんとする。チームの内側の多様性は結果としてシーン全体の同質性へと繋がることはしばしばある。もちろん中間色ならではバランス感や薄味こそが機能として求められる場面もあるので、それが一概に駄目とも言えないのだけど。偶然の出会いが有難がられがちな昨今ではあるけれど、本当の制作仲間は、作品のヤバさだけを基準に偏屈に探し合うのが良いのではと内心思う。コワーキングスペースやコミュニティベース、交流会の場で、成果物もお互い知らずに「なんかオモシロいことしましょう!」と近寄ってくる人は根本的に信頼してない。

一方、「存在を薄々感じ合うコミュニティ」については、僕はとことん多様であって欲しい立場だ。単に業種やスタイルの違いに留まらず、そもそも意思疎通もままならないくらいに「ノリ」からして違う人同士が事故的に同じ場に居合わせてしまうことで、自分のアティチュード(態度)を自問・相対化せざるを得ない状態に身を置くよさは確実にある。そういえば以前さのさんと食事した時に、「スキル < センス < アティチュード」と、三層構造を成しているという話をしたような気がする。同じセンス体系の中ではスキルは比較可能で、同じアティチュードの中ではセンスは違いを超えて相互評価し合える。しかし、違うセンスの元ではスキルは序列化が出来ないし、根本的にアティチュードが違うもの同士ではセンスについての言語が違い過ぎて会話が成立しなくなってしまう。例えば、デイリーポータル的なセンス体系の中ではライティングスキルはある程度定量化できる。デイリーポータルZ新人賞はそれゆえに開催できる。デイリーポータルとオモコロも、センスの指向の違いはあれど、インターネットオモシロコンテンツクリエイターとしての根っこのアティチュードにそれなりに共通するところがあるので、ある程度はお互いに認め合える。だけど、オモコロとユーフラテスは、世の中の事象の「面白がり方」、そしてそのコンテンツへの昇華の仕方にあまりに態度の違いがあり過ぎて、恐らく意思疎通ができない(ような気がする)。実際、業界としてもきっぱり別れている。

今居る環境には、映像でいえばAC部にオオクボリュウ、そして僕が所属しているのだけど、本当に三者三様で、全員の共通点はgroup_inouのMVを作ったことくらいだ。というか、僕以外は本当にみんなカッコいいし凄いので、こういう「僕の居る環境ヤバい面子揃ってまっせ」なんてダサいアピールは僕くらいしかしない。だた、元々僕もオオクボリュウの作品はよくあるおしゃれ美大生アニメーション位の粒度でしか捉えてなかったし、「すべてがFになる」のEDをオオクボリュウに見せたときも、麦ちゃんの映像は密度感が凄いね〜くらいの雑な感想をくれた気がする。

しかし、そういう根本のアティチュードからして違う者同士が、コラボレーションは一切しないながらも近しい空間で黙々と作業していることで、自分の思う「センスの良さ」「技術的すごさ」「映像の気持ちよさ」が実は業界の内側の局所的な価値観でしかないという事実を常に突きつけられる。そして、あるセンス体系の内側で細々と先鋭化を図る以上の越境性を作品に持たせんと自然と意識させる。Flash板出身のモーションデザイナーの大好きなドキツいイーズアウトに凝っていた時期に、作った映像を父と同い年の建築家に見せたら「君の映像の動きはいつもキュインとしているね」とこぼされた。なんかそれで急に冷めちゃって、それ以降もうキュインとしたアニメーションは toiret status 氏の音楽への映像以外にはつけてない。そもそもああいう吸着感のある動きが音の質感としてマッチしているのはバブルガム・ベース位だろうし。

この時期に作った映像どれもダサすぎて地面に埋まりたくなる
toiret status 氏の音楽は本当に良い

こうした経験以降、ダサいダサくないのジャッジ以前に、ただただ敬遠していまうような根本的にアテュテュードの違う存在といかに気軽に触れ合うかを意識するようになった。「触れ合う」くらいの雑な距離感がちょうど良い気がする。group_inouのEYEのMVで、ノガミカツキと共作したときは「メディア・アートとしてのコンセプトの太さ」「映像としての気持ちよさ」に対する意識が違い過ぎて喧嘩ばかりしてたので、無理してコラボレーションするのも不健康に思える。

知り合いには意外に思われるけれど、映像イベントのFRENZに毎年行っていた時期があった。友人のmisokabochaにはそれはそれで嫌味っぽいので止めて欲しいと言われたが。モーションデザイナー仲間の荒牧康治さんや千合洋輔さんと作ったfhánaのMVの感想をあえてkoyaさんやシシヤマザキさんに聞いて、案の定「最初の5秒のエディット感でその後のノリが読めてしまって冷めた」という主旨の感想を貰って凹んだこともある。というのを荒牧・千合両氏にLINEで共有したら変な空気になった。本当に悪いことをしてしまった。

そういうのもクソ意識高い上に露悪的な感じがして、さすがに最近は辞めた。とかいいつつ最近Clubhouseで灰色ハイジさん(最近著作を買いました)とお話させて頂いた時、UIのルック的なフェチってあるんですか? という変な質問をしてしまって、これまた微妙な雰囲気になってしまったので何も変わっちゃいない。もしかしたら、むらさき君やさのかずやさんによく絡んでいるのも、「よさ」のニュアンスの話はできなくとも、違う態度の同世代からの視点をどこかで求めているからなのかもしれないと今自覚した。

「存在を薄々感じ合うコミュニティ」の話に戻すと、ともかくそういう意味で多様な態度の人たちに揉まれながら、シーンの内側で暗黙的に良しとされているフェティシズムの追求に時たま虚無感を覚えるような環境はわりと悪いものではないようにも思える。むしろそれこそが僕が個人的に場やコミュニティというものに求める機能なのかもしれない。

Motion Plus Design(M+D)の運営に関わってるHu Yuは2016年にINSにインターンに来て以来の友人だ。最後に会った時、M+DにWeirdcoreJesse Kanda, Cyriakのようなクセスゴ・ビジュアルアーティストが登壇することは無いのかなぁという話になった。パートナーのSteven Tungはそういう非フォトリアル、アンチハリウッドなCGIシーンが案外好きらしく、MVを漁りながら盛り上がった。だけど結局主宰のKook氏のキュレーションなのでそれはそれで良いよねという結論に。いやだけども、「スマホのTVCMや映画のタイトルバック」のようなクオリティを良しとするイベントに、平岡政展さんのようなアニメーション作家や、CGが下手くそな僕なんかがぶっ込まれたこと自体が、既にその意味でのちゃんぽん感を意識してのものだったような気もする。そういえば、昨年末のMPDに辻川幸一郎さんや冠木佐和子さんが登壇したのは個人的にめちゃめちゃ良かった。ダストマンさんやGrayscale Gorillaのチュートリアルをこなし、Ash Thorp, Gmunkを目標とするモーションデザイナーに事故的に届けられる「肛門的重苦」は、良い意味でシーンの価値観を引っ掻き回しそうで、素敵だなぁと思った。

全然話にまとまりが無いので制作に戻る。今日はふきのとうをテクスチャリングする。