橋本 麦∿Baku Hashimoto

健全なマウンティング社会

ある素朴な価値観へのマウンティングがあったとして、そのマウンティングに対するマウンティング、に対するメタマウンティング… と、マウンティングは階層構造になっている。そして高次になるほど、良くも悪くもニヒリズムに近づいていく。高次が必ずしも良いということではないけれど、精神衛生的にはマシになることが多い。

一度マウンティング脳に目覚めた時点で本当の意味でその階層構造から抜け出す事は難しくて、一つずつ高次のマウンティング脳に移行して達観という極限値への収束を図っていくしかない。ただ問題は、n次のマウンターにとって直接的に嫌味に映るのはn+1次のマウンターだけということだったりする。それを超える次数のマウンターはそもそもそのn次のマウンターのことを嫌味抜きで「かわいいね」としか思っていないし、遠巻きに眺めるだけで真意を伝えようともしない。(少しでも腰を据えてn次のマウンターと関わろうとした時点でn+1次のマウンターと同化してしまうことをn+2次以上のマウンターは無意識的に恐れている)

だから、マウンティング脳の呪縛から逃れる段階において、n次のマウンターである自分に直接マウントを仕掛けてくれるn+1次のマウンターはとても大切な存在なのだと思う。健全なマウンティング社会には、それぞれの段階のマウンターが一つ下の階層のマウンターにマウントを仕掛けて、高次のマウント脳への移行を促していくポンプ作用が働いていて、その限りにおいて、すべての隣接する次数のマウンター同士は相補的な存在だ。だからあまり自分のマウンティング体質やその次数に悩まずに、健康増進の度合いに応じて穏便に一つ下の次数のマウンターにマウントを仕掛け続けていれば良いのかもしれない。と最近になって感じた。