Hashimoto   Baku

Hashimoto   Baku

批評の行く末 (メモ)

このページは個人的なメモ書きです。何かあればご連絡ください。

  • 多分自分がテキストとしての音楽批評に無意識に求めている要素は『スコラ』であり『亀田音楽専門学校』らしいし、もっといえば長谷川白紙やゲーム音楽解説系動画の変拍子解説が一番楽しい
  • 音楽から受け取った情動そのものの表現として、影響を受けてまた別の音楽をつくったり、踊ったり弾いたり歌ったり、あるいはそこに新しく映像をつけることの力が根本的に強すぎる。批評が介入できるのは、構造分析や文化的なコンテクストの読み解きくらいなんじゃないかって思う節がある
  • まだ本当に感動した印象批評には出会えていない
  • 実はあるにはあるような気もするんだけど、少なくとも人文系や批評論壇の人の文章ではない。自然科学や工学者、漫画家(島本和彦とか)の批評——というか感想には感動すさせられることが多い。
  • 書き手として語りに体重を乗せることが、目が滑らずに読める最低限のハードルだと思っている
  • 科学的厳密性を追い求めているわけでも、専門家に向けた学会発表をしているわけでもない場で、「論壇」っぽい語彙や文体を選ぶことはすごく悪手だと思う
    • そういう書き手は身近にもたくさん思い浮かぶ。石川さんみたいにそれを「けむに巻く」スノビズムとして唾棄するつもりはないけれど、シンプルに不器用だなぁって思う。語るとすごく面白いのに
    • いわゆる令和人文主義的なものって、制度としての批評を疑いなく受け入れずに、ちゃんと「文体」に拘った人たちっていう感じがする
  • あとは、社会的な側面、美学的な側面からのみ作品を批評することは得てして制度を透明化する。敢えてフォーム(形式)を語ることが、キュレーターや作者すら「表現」の裏側に隠したかった技術や制度を脱神秘化する
    • 八木さんのggg展示へのレビューはそういう狙いがあった。野暮を選ぶというか。というか、みんなそういう「考察」を促す偽史設定に持っていかれすぎて、anon pressの青山さんのartscapeの批評は、キュレーターの方はさぞ喜ぶんだろうなって

改めて批評の行く末を考えたとき、

  • ウンチク
    • 構造分析
    • 文化的コンテクストの解説
  • 話芸
    • 考察
    • 編集工学
  • 詩情・文学性
    • 印象批評
    • お気持ち

という方向性があるんだろうなって思った。

身近だと、imdkmさんは構造分析派。そして、音楽の生産技術に根ざした制度批評ができる方でもある。

田中大裕さんは、御本人は制作経験がある立場を自認していたが、作り手として理解できる構造分析は十分にできていないと思っている。けど、コンテクストの解説と編集工学性(インデペンデント・アニメーションと商業アニメの架橋)は同世代でも卓越していると思っている。それは氷川竜介さんにも土居伸彰さんにもない両面性というか。

アリムラさんは逆に、化学という出自や作り手としてのアクチュアリティがあるからこそ、音楽というよりも「作るということ」への体重の乗った構造分析がすごくて、そこに熱い思いもある。(美学校で教えているんだから「批評」にもカテゴライズしてもいいよね?)


講評やレビューでも、印象批評ではなく形式や構造にしかフォーカスしないがちなんだけど、言葉で表現する限りは、よほどの詩情が宿っていない限り(自分にはまだムリ)、構造を体重を乗せて語ることこそエモって立場なんだと思う

けど、構造だけを「メディアや認識の面白さの原器」として純化する態度は誰よりも苦手で(そこには自己嫌悪もある)、距離を置いてしまう 特段構造が好きな人じゃない人の作品を構造的に語る、っていう誰からも求められていない野暮をやりつづけている気がする


ここに引用するほどのものでもないけれど、「批評家はAIに奪われる」という趣旨の発言に自分の投稿が援用されていた

  • AIに仕事を奪われるから価値がないわけではなけではない
  • 音楽批評文は、特に現行のLLMにはまだ苦手なマルチモーダル性の高いジャンルの文章っていう認識なので、少なくともコードほどには早急にAIに奪われるとは思っていない というか奪われるから何だろう 批評や編集文化がすきだし、好きな論者の方の文章には引き続き(経済)価値を感じ続けるので…